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 正体の分からない不可解な苛立ちに戸惑い、
 不穏な気配に気付くのがわずかばかり遅れた。
 セイレンは、咄嗟にハワードを突き飛ばし、
 すぐさま己も飛び退こうとしたが、濡れた足が滑り、上体が傾いだ。

 尻餅をつき、わけが分からず呆然とするハワードの視線の先に、
 粘着質の糸に絡み取られ、もがくセイレンの姿。
 それはまるで蜘蛛の糸にかかった、鱗粉を撒き散らす美しい蝶のよう。


 本来ミョルニール山脈にしか生息していないアルゴス。
 赤い禍々しい巨体を揺らし、じわじわと近寄ってくる。
 剣を取るにも腕が動かせない。
 セイレンは藻掻きながら、呆然とするハワードに逃げろと叫んだ。






 その必死の声に我に返ったハワードは、ふるえる手で短剣を握ると、
 縺れる足をがむしゃらに動かし、アルゴスに向かって駆け出す。


 助けないと、僕がセイレンを助けないと。
 僕が守るんだ! 僕が、セイレンを!



 ハワードは無我夢中で蜘蛛の身体に短剣を突き立てた。
 暴れる巨体に必死にしがみつき、渾身の力をふりしぼって、刃を奥へ奥へと突き刺す。
 セイレンはあがいていたその手をとめ、ただただハワードの必死の形相を見つめ続ける。


 アルゴスの絶命間際の咆吼にハワードの手は短剣を滑り、身体が吹き飛ばされる。
 岩に強く叩きつけられた。

「ハワードッ!!」

 弱まった糸の呪縛を振り払い、駆け寄ったセイレンの白い裸足の先に、
 赤い、赤い筋が流れる。


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