「お、今日も美人だよエレメス」 紫紺の長い髪が流れる首もとに、緋色の布地が見え隠れする。鈍色の装束に身を包むしなやかな後ろ姿。 心持ち足下がふわふわと頼りなさそうに。 エレメス=ガイルは寝起きがとても悪い。 「や ら な い か」 軽やかな足取りで追い越していくハワード=アルトアイゼンが、通り過ぎざま爽やかに尻をなでていく。 今朝は特に頭痛がひどく、怒りすら沸いてこない。 無言で気怠げに投げたポイズンナイフが、草色の髪がひょこひょこと揺れる後頭部にさくっと突き刺さった。 「アッー!」 ピクピクと痙攣し血溜まりを広げていくハワードを跨ぎ、エレメスは皆が揃う食卓に腰を下ろした。 「おはよう、エレメス」 「…………ああ」 「ハワードもはやくご飯食べちゃって」 「おう!」 本日の食事担当はマーガレッタ=ソリン。 鈍色のアルミ皿をテーブルに並べていたその手を止め、軽く首を傾げ微笑む。ゆるく結わえられた長い髪がふわりと揺れた。 バスケットに盛られた数種類のサンドイッチ。程良く焼けたパンの香りが食欲をそそる。 先程の血糊はどこへやら真っ白なシャツのハワードがいそいそと手を伸ばす。大口でかぶりつき「美味い!」と満面の笑みで評した。 食材はいずれも缶や瓶に詰められたものしか手に入らない。 それでもマーガレッタや、一番の料理の腕を持つエレメスは実に見事な料理をこしらえるのだった。 「あらあら」 ティーポットを手にしたマーガレッタがうふふと微笑む。 それぞれのマグカップに注がれたのはマーガレッタ特製ローヤルハーブティー。 あたたかな湯気がたちのぼり、甘い香りが朝食のひとときをふわりと包み込んだ。 愛らしい顔立ちの少女が猫のように目を細め、バスケットに残る最後のクリームサンドイッチに狙いを定めている。 小柄な身体のどこに入るのか、食欲旺盛なカトリーヌ=ケイロン。 もちろん己の分はぺろりとたいらげ、とっくに腹の中におさめられている。 「……あ、エレメスのヌード写真集」 「「なにっ?!」」 ボソリと舌足らずの棒読みで、カトリは明後日の方向を指さした。 その小さな指に反応したのはエレメス本人と、そしてハワード。 ガバッとものすごい勢いで顔を上げたエレメスが、こめかみに走る鈍痛に思わずテーブルに突っ伏す。 つらそうに額を押さえ指の間からじろりとねめつけると、ハワードは素知らぬ顔で目を逸らした。 その隙に、ハワードの分である最後のクリームサンドイッチはカトリの口の中へ。 「ぐあああ! 最後に残してたのに!」 「ひっはあるはあーろがわうい」 好物は最後までとっておく貧乏人の習性があだとなったか。 大好きなクリームサンドイッチを目の前で食べられ、もだえるハワード。 口をもぐもぐさせながらカトリは、ひっかかるハワードが悪いとしれっと言い返す。 そこに追い打ちをかけるように、セシル=ディモンの苛々とした声音が追撃した。 「ハワード、うるさいわよ!」 「え、なんで俺っ?! だってカトリが俺のクリームサンドを……!」 眦の切れ上がった印象的な目は美しく、快活で勝ち気な質があらわれている。 すがるような目で訴えてくるハワードに、セシルは鬱陶しそうに髪を掻き上げ容赦なく斬り捨てた。 「サンドイッチのひとつやふたつで情けないわね」 「ううう」 うふふと微笑みながら優雅な仕草でカップに口を付けるマーガレッタ。 その隣で食事を取っていたセイレン=ウィンザーが静かに席を立つ。 クリームサンドイッチが半分残る己の皿をハワードの前へ置いた。 「見回りにいってくる」 パッと顔を輝かせハワードはセイレンを振り仰ぐ。 「え、良いのか?! サンキュー!」 「礼は良いから早く食べないとカトリが」 と忠告した時にはもうすでに遅く。 小さな手がスルッと伸びてきて、パクッと口の中。 「かーとーりぃぃーっ!!」 ハワードが目に涙を浮かべ肩をぷるぷるとふるわせている。もう本気で泣きに入っているようだ。 セイレンは小さく溜息を吐くと、部屋を出て行った。 「あああもうっ! しつこい!」 ぴきぴきとふるえるセシルの手が、持っていたカップをテーブルに叩きつけた。 その衝撃にハーブティーがわずかに飛び散る。 セシルの周りに吹き上げた風がその白い軌跡で弓の形を描く。手に取ると深紅の弓へと実体化した。 指先から肘にかけて風が絡みつきグローブとなる。完全に戦闘態勢だ。 セシルはピンと張った弦に矢をつがえた。ハワードに狙いを定めた鏃がキラリと光る。 「ひいい! セシルあぶないって! まじ死ぬまじでまじシャレにならないって!」 いやあああああごめんまじごめんちょーごめん! 次々と飛んでくる矢を器用に避けながら、ハワードは必死の形相で謝り倒していた。 「あらあら」 マーガレッタは目の前で繰り広げられる乱闘をものともせず、二人とも仲良しさんねと暢気に微笑む。 ハワードの絶叫が頭痛に響くのか、いつのまにかエレメスは姿を消していた。 ちゃっかりとマーガレッタのそばに避難しているカトリが、指についたクリームを満足げにペロリと舐めた。 俺たちが冒険者だった頃から変わることのない日常。 生体工学研究所に囚われモンスターとなっても、変わることのなかった日常。 セイレンとエレメスが悪魔へと変わっても、変えることのなかった日常。 そしてこれからも変えてはいけない、日常。 同じ日常を繰り返していれば、変わらないでいられると思った。 変わらないでいることが大切だった。変わってしまえば元には戻れない。 崩れるのは一瞬だ。狂ってしまえば楽になる。 毎日花を持ってきてくれる風変わりなパラディン。 外の世界に生きる彼の言葉が、分からなかった。 ハワードは聴覚を失っていた時期があった。だから声が聞こえなくとも、唇の動きで言葉を読み取ることができる。 しかしパラディンの喋る言葉がどうしても分からなかった。唯一理解できたのは、彼が呼んだ己の名だけ。 ハワードはまざまざと思い知らされた。認めざるをおえなかった。 変わらないことに固執する俺を嘲笑うように、世界はとっくに変わっていたのだ。 世界は常に変化し続け、未来へと進んでいる。そこに俺たちの居場所はもはやなかった。 それならばもういいんじゃないか、と。 これ以上苦しませなくていいんじゃないかと、心のどこかでささやく声がする。 薄暗い廊下の先、斜めにえぐれた壁の向こうに灰色の甲冑の後ろ姿が見えた。 パラディンのマントは何色だっけとどうでもいいことに気を紛らわせ、高揚する気持ちを抑え込む。 彼の隣でペコペコが暇そうに爪でしきりに床を引っ掻いている。 愛嬌のある仕草に緩みかける口許を引き締めた。一歩一歩近づくたびに、とくんとくんと心臓がはねる。 ハワードに気付いたパラディンがふりかえり、目を細めて優しそうに微笑んだ。 パラディンと過ごす時間は麻薬のようだった。 彼と会うことがさらなる苦しみをもたらすことになろうとも、その手を拒むことはできなかった。 彼から外の世界の匂いがする。雨の日には雨の匂いが、晴れの日にはお日様の匂いがする。 なにより、生きている匂いがする。 気が狂いそうだった。 声も届かない。言葉も分からない。 それなのにパラディンは飽きもせず喋っている。 ハワードは彼の隣に座り、その肩に頭をもたれさせ目を閉じる。声が発せられるたびに身体の中から響く振動に耳を傾けていた。 「……ほんと、何喋ってるんだろうな」 わけわかんねーと可笑しそうにハワードは呟く。 視線を感じ目を開くと、何か言ったかと問うような表情。からかうようにニッと笑ってみせると、困惑した顔で曖昧な笑みを返された。 パラディンの手がハワードの頭に置かれる。あたたかな手の温度に一瞬息がつまる。 揺れる視線を咄嗟に逸らし、足下に置かれた花に目を落とした。 この小さな花は、どんな色をしているんだろう。 生あるものは色彩を欠き、モノクロに沈む。 ふれることのできない指が花弁を撫でるようにさまよう。その手をパラディンが握り込む。力がこめられた。 どうしようもないほどに苦しくて、痛くて、哀しくて、寂しくて、憎くて、恨めしくて、妬ましくて、恋い焦がれる。 帰りたい。戻りたい。外の世界に帰りたい。家に帰りたい。 お日様の匂いがするパラディンとの時間は、まるで日だまりのなかを微睡んでいるようだった。 目を閉じればすぐそこに、あたたかな陽気のプロンテラで露店を開いてうたた寝している自分がいる。 どうせもう戻れないのなら、このまま彼の隣で狂ってしまえればいい。 紅蓮の閃光。強烈な光が視界を焼いた。 理解する前に身体が動く。隣に座るパラディンを力の限り突き飛ばした。 衝撃に備え目を閉じ両腕で頭を庇う。 身体がふわっと宙に浮いたかと思うと、爆風にたたきつけられた。勢いは止まらず、身体は床の上を転がりざらつく表面を滑る。 「……セイレン」 頭がくらくらする。網膜を焼かれ黒い残像が刻まれた視界がぶれる。 静かに歩み寄るセイレンから目を逸らさないまま軋む身体で立ち上がった。足下がふらつく。 狂気に光る紅蓮の双眸から遮るようにパラディンを背に庇い、セイレンの肩をきつく押さえ抱え込んだ。 「待ってくれ違うんだ、セイレン聞いてくれ!こいつは敵じゃない!こいつに手を出さないでくれ!」 我を忘れ爆裂状態にあるセイレンに、ハワードの声は届かない。 腕を振り払われ身体を押し退けられても、何度も必死にすがりついた。 渾身の力で押しとどめながら、振り返り呆然と立ち竦むパラディンに絶叫に近い声をあげた。 「逃げろ!」 見開かれたパラディンの目がつらそうに歪む。俺の身を案じて躊躇っている。それだけで十分だった。 じんわりとこみあげてくるぬくもりに思わず口許が緩むのを隠すように俯いた。 蝶の羽が空間を切り開き移動するかすかな音。 顔を上げるとパラディンの姿が滲むように視界から消えようとしていた。 安堵に弱まった手がふりはらわれ、突き飛ばされる。バランスを崩しよろけ背が壁にぶつかった。 セイレンは片手でハワードの首を締め上げる。 気管を強く圧迫され呼吸が出来ない。喉仏が奥にきつく押され呻き声が洩れる。指を引き剥がそうと必死に爪を立てた。 酸素を求め唇がわななく。苦痛に顔を歪ませるハワードの耳元に、セイレンはうっすらと笑みを浮かべ唇を寄せた。 「私を裏切るのか」 静かな、静かすぎる声音で囁いた。 酸欠状態に視界が赤く霞む。首にかかる手に必死ですがりながら、ハワードは形振り構わずかぶりをふった。 背後の壁にめり込むほどの力で叩きつけられ、セイレンの手がようやく放れる。拘束を解かれた身体が崩れ落ちた。 気道が痙攣し呼吸がまだ上手くできない。ハワードは蹲り首をかきむしり必死に喘いだ。 咳き込むたびに、内臓が痛んだのか血の臭いが喉元からせり上がってくる。 満足に呼吸もできないまま、髪をきつく掴まれ顔を上げさせられる。 上体を起こされ壁に縫い止めると、セイレンは白銀の剣をその肩に突き刺した。 「――――っ!!」 刃は肉を貫き壁へと達する。絶叫は色濃く圧迫の痕を残す喉をさらに傷めただけで、声にはならなかった。 セイレンはハワードのすぐ間近に片膝を付く。掠れる悲鳴をあげ身体が強張った。 焼け付くような肩の痛みよりもただただ目の前の男が怖かった。身を捩って逃れようとするが、壁に磔にされた身体は動かない。 怯え固く目を閉じるハワードの首にかかるチョーカーを掴み、引きちぎるかのように強く引っ張った。 上体をセイレンの方に引き寄せられ、肩を串刺しにする刃先がやわらかな肉に食い込む。 「っく……」 骨に刃があたる感触。苦痛に顔を歪ませ呻く。 「私を置いていくのか、ハワード」 すがりつくような声音にハワードは目を見開いた。 息がふれあうかの距離にセイレンの整った顔がある。 ハワードを真っ直ぐに見つめる紅い瞳は、傷つき怯えていることに気付いた。 セイレンが泣いている。 「……おまえのそばに」 俺がセイレンを助けるんだ。それは遠い昔、小さい頃に心に誓ったこと。 だから、俺は無理矢理唇を歪めて笑みをつくり微笑んでみせる。 左の手でセイレンの首に腕を回すと唇を寄せた。 啄むように何度もやわらかな口づけをしながら、呼吸をするより自然に、俺がそばにいるとセイレンにささやき続ける。 ガントレットに包まれた指が、赤いみみずばれを残しながら肌を這う。冷たい感触に肌が粟立つ。 恐怖に囚われぬようまばたき一つ許さず、俺はセイレンのきれいな目を見つめ続ける。 胸元から腹にかけて赤い線が無数につき、血が滲み流れ出す。 苦痛に堪えきれず声が洩れそうになるたびに、目の前の唇を舐めて軽く吸った。 「っ」 ファスナーがおろされ下腹部に潜り込んでくる指に息を詰めた。くるであろう痛みに歯を食いしばる。 金属の冷たい指が、格好悪くも縮こまる俺自身を取り出し握り込んだ。 ただでさえ敏感な場所を傷つけられ、必死に悲鳴を飲み込んだ。喉が仰け反る。 「……ハワード、いかないでくれ」 息も絶え絶えに涙に滲む目でセイレンを見つめ返す。その傷ついた表情は途方に暮れた迷い子のように頼りなげに。 俺の肩を串刺しにしていた剣がキラキラとした光の粒が砕け散るように霧散した。 楔を失い右腕が力なく落ちる。その重みに傷が痛んだ。 「俺はここにいる。おまえのそばにいる。他の連中だっておまえのそばにいる」 腕に力を込め、安心させるように抱きしめる。 セイレンはきれいすぎたのだ優しすぎたのだ、だからこんな場所で生きてはいけないのだ。 きれいな心が耐えきれずに軋み悲鳴を上げている。粉々に砕け散ってしまえればどんなに楽なのだろう。 狂気が蝕みもがき苦しむセイレンを繋ぎ止めているのは、ハワードだった。 パーティーのリーダーであるという責任をちらつかせ、俺はセイレンを鎖で縛りつけ逃げることを許さなかった。 理由などなんだって良かったのだ。セイレンが、皆が、この日常が、壊れないためならばなんだって。 「脱いで」 さわらせろよとセイレンの耳元に唇を寄せ媚びるように誘う。 ハワードから身体を離し呼吸をひとつ吐き出すと、彼を包んでいた鎧が炎となりゆらめいて宙にかき消えた。 普段の軽装となったセイレンの細くしなやかな指がマントの留め金をパチンと外す。 緋色のマントが地に滑り落ちるのを見届け、俺も脱がないと……とぼんやり思ったが、ふるえる手は動かなかった。 壁を背に預け怯えて動けないでいるハワードの身体をやんわりと抱き起こし、向きを変えさせると静かに床に組み敷いた。 顔を寄せ唇を重ねる。上唇を吸い下唇を甘噛みすると心得たように口がわずかに開き、もっと深くと誘う。 焦らすように歯列をひとつひとつなぞっていると舌を軽く噛まれる。ねだるように舐められようやく絡め取るときつく吸い上げた。 「……っ」 息をすることすら忘れ舌を必死に絡めるハワードは、痛々しく憐れだった。 本当は払いのけたいだろうそのふるえる手が、服の隙間から滑り込み背に回される。 引っ掻き傷に血が流れ赤く染まる胸元に口を寄せると、つらそうに顔を歪ませた。 「痛むか?」 「……んっ、……平気」 視線が逸らされることはない。すがるようにひたむきに私だけを見上げてくる。 上にのりかかり触れているのが私であることを、己自身に必死に言いきかせているのだ。あの時の恐怖に囚われてしまわぬように。 引っかけてるだけのシャツを半分脱がせ、未だ出血の止まっていない肩口を縛った。腕に伝う血に舌を這わす。 腕から指先、首筋から腹部へと丁寧になぞり、わずかでも身体がビクリとふるえると執拗に吸いつき噛んだ。 「やっ……あ、セイレ……」 背に回され彷徨っていたハワードの手に力がこもり、己の方に引き寄せる。 口づけをせがまれ、唇を重ねる。離れる間際、さわってと口早にとても小さな声でハワードが言った。 思わず笑みがこぼれる。赤く染まる耳をからかうようにやわらかく噛む。 下肢に手を伸ばし、擦りあげると先走りと先程傷つけられた血が指を濡らした。 「あ……あっ、……っ……セ、レン」 熱をハワードの奥に収めると、苦痛と快感と恐怖に目を見開く。 ぽろぽろと止め処もなく溢れる涙に濡れる紅い瞳は、焦点が定まっていない。 掠れふるえる声が何度も確かめるようにセイレンの名を呼んだ。 狂ったように、壊れたように、何度も何度も。 ハワードが虚ろに眺める視線の先に、押し花にされた小さな花が落ちていた。 あのパラディンが寄越したものだろう。 セイレンは遮るように、ハワードの何も映しだしていない目をてのひらで覆い隠した。 取り残された時間、切り離された空間。世界は未来へと進み、もはや手の届かないところにある。 それならばもういいんじゃないか、と。 もうこれ以上、セイレンを苦しませなくていいんじゃないかと、心のどこかでささやく声がする。 たとえもう戻れないとしても、失いたくない。 セイレンがいて、皆がいて、笑っているこの日常を。 意識を失うハワードにセイレンはマントをかける。 ふるえる手で顔を覆った。 『……すまない、マガレ。……手を貸してくれ』 『分かりました』 IAをかけ走り去るマーガレッタを見かけ、エレメスは眉を顰めた。 マーガレッタは人間を傷つけるのを厭う。 人が足を踏み入れることのできない住処から出るのは非常に稀なことだった。 仲間の内に何かあったのか。エレメスはその後を追った。 ハワードが倒れていた。 かけられた緋色のマントからのぞく血の気の失せた手足の、その白さが際立つ。 肩に結ばれた布はどす黒い色に染められ、辺りに充満する血の臭いはそこから滲みでているようだった。 負傷したのかとエレメスは思った。しかし血とは違う生臭い匂いが鼻につく。 セイレンを襲おうとしたハワードが返り討ちにあったのか。それとも物好きな人間がハワードを犯したのか。 立ち尽くすセイレンは静かにハワードを見下ろしている。その表情は髪に隠れ読み取れなかった。 マーガレッタは近づくとそっとその肩を抱いた。この異様な光景に動じた様子は見受けられない。 その耳元に何事かささやく。セイレンはしばし躊躇ったのち小さく頷き、無言でハワードの元を離れる。 セイレンがエレメスの横を通り過ぎる。ハワードと同じ匂いがした。 エレメスの目がスッと細められる。 足が吸い寄せられるように、ハワードの元へと向かう。 ちらりとマーガレッタが視線を寄越してきた。 見下ろす視線の先、力なく四肢を投げ出し憔悴しきった表情は翳りをおとしひどく弱々しく感じられた。 こんなハワードの姿を、エレメスは今まで一度も見たことがなかった。 「花盗人」 2009.02.15 |