パラディンは溜息を吐いた。

 薄暗い廊下にペコペコの爪が汚れたノリウムの床をチャッチャッと引っ掻く。
 ねっとりと張り付くような重く淀んだ空気。
 慣れることのない不快感に自然と歩みが速くなるのを、手綱を軽く引き寄せ御した。


 生体工学研究所三階。


 人の形をした半透明のモンスターが彷徨う場所。人体実験の犠牲となった者達の残留思念だ。
 壁の黒い染みは、血なのか涙なのか。
 彼らの魂は安らぎを与えられず、繰り返される憎悪と断末魔は行き場のないまま。


 パーティメンバーは部屋にこもり、私たち前衛職が釣ってきたモンスターを白刃で掴まえ、弾き飛ばして温もりで殺す。
 いかに効率良くモンスターを処理できるか、そんなどこか作業に似た狩りを行っていた。


 私たちは一次職の時代に出逢い、パーティを組んだ。
 色々な冒険に目を輝かせ、全員転がってはカプラ職員の救助を待ったりもした。
 初めてのレアに皆で肩を叩き合い泣き笑いすらした。
 やがてギルドを結成し、誰かが入っては誰かが抜けていった。

 皆を守りたいとパラディンの道を目指した。
 力も手に入れた。装備も手に入れた。仲間も手に入れた。

 そして行き着いた先が、これだった。


「……くっ!」

 二体釣って戻る最中、後ろを気に掛けすぎたか横沸きへの対応が遅れた。
 LKdopのSpPをまともに喰らい激痛が脇腹に走る。一瞬呼吸が止まり、身体が傾ぎペコペコからずり落ちそうになる。
 脂汗で滑る手でハエの羽を握りつぶした。

 痛みに霞む視界で、安全な場所を見つけるまで飛び続ける。
 ハエの羽が十数個消えたあたりで、ようやく倒れ込むように座り冷たい壁に上体を預けた。
 崩れ落ちそうになる主人の身体を守るように、ペコペコが隣に座りやわらかな羽を広げた。
 ふるえる手で回復アイテムを取り出し、栓を歯で噛み切ると傷口にかける。
 激痛が遠のきそうになる意識を繋ぎ止める。傷口の回復を速めることは体力を消耗させるが、これ以上の失血は避けたかった。
 肩で息をつきながら、肺が痙攣し酸素を求めるがままに喘ぐ。体中の血液が沸騰したかのように熱い。火照った首筋を伝う汗にゾクリと身震いした。


 パーティチャットは変わらず静かなままだ。ハエ飛びした私に対する声かけもない。
 オーラを纏うほどの力を手に入れた。装備はいずれも過剰に鍛えられ、ギルドは大手に名を連ねるようになった。
 しかし、最近気付くと溜息ばかり吐いている。


 私と共に、仲間はまだ在り続けているのだろうか。






 ふと、闇の奥に光の粒が瞬いた。口内に溜まっていた唾液と共に息を呑むと、目を凝らす。
 オーラを纏ったホワイトスミスのモンスターだ。淡い光をまとわりつかせ、半透明の身体が浮かび上がる。

 傷は塞がりつつある。
 冒険者カードを取り出し現在地を確認する。わずかに距離はあるが、このオーラWSを釣って戻れそうだ。
 主人の横で羽繕いをしていたペコペコを立ち上がらせ、すがるように手綱を引き寄せ乗る。傷口に走る痛みに思わず呻いた。
 心配そうに顔を寄せてくるペコペコを優しく撫でてから、オーラWSとの距離を少しずつ縮めていく。

 モンスターの感知範囲内にギリギリ足を踏み入れても、オーラWSは動かなかった。
 顔はこちらを向いているのだから気付いているのだとは思うが、障害物があるのかハマってるのか。
 手綱を握る手に力がこもる。わずかに嫌がる仕草を見せるペコペコを一歩進ませ、さらにもう一歩進ませた。

 おもむろに、オーラWSの足が動いた。手綱を一気に引くと退路へと誘導するように向きを変える。
 速すぎず遅すぎずペコペコを走らせ、前方に警戒の眼差しを光らせる。
 チラリと振り返ると、着いてきているはずのオーラWSは少し後方でその足を止めていた。

「え?」

 思わず間抜けな声が漏れる。眉根をよせながら、ペコペコを止まらせた。


 オーラWSは、私が先程まで座っていた辺りで立ち尽くしている。その目線は足下に向けられていた。
 つられるように視線を遣ると、そこに落ちていたのは花だった。
 どこにでも咲いてそうな草花。青色の小さな花弁が1つ欠けている。
 花など私には身に覚えがない。首を傾げる。そしてふと、隣で毛繕いをしていたペコペコの羽毛に付いていたのかと思い当たった。

 オーラWSはその花に向かって手を伸ばす。
 しかしその半透明の指は花にふれることができなかった。花の輪郭をなぞるように彷徨い、そして力なく握られる。
 その光景を、私は吸い寄せられるように見ていた。

 私はペコペコをおりると、その寂しそうな横顔に近づいた。
 命知らずなとても危険な行為だ。ペコペコが警告するように鳴いた。向かう先に射抜くように煌めく紅い瞳。
 崩れ落ちそうな小さな花をそっと拾い上げると、てのひらにのせオーラWSの胸元に差し出す。
 警戒した眼差しを向けてくるオーラWSは私と花を交互に見遣り、やがてじっと花を見つめた。その口許がわずかに綻んだように見えた。


『すまん、用事できた』

 パーティチャットでそう告げてから、何の躊躇いもなくパーティとギルドを両方脱退した。
 マップに私の位置が表示されたままだと、このオーラWSがパーティメンバーに知られてしまうからだ。

「もっと奥にいこう」

 ペコペコを呼び奥へと足を進める。オーラWSもおとなしくあとをついてくる。
 その様子はまるで餌に寄ってくる犬か猫のようで、思わず笑みがこぼれた。
 しかしモンスターであることに変わりはない。
 今は無抵抗とはいえ、次の瞬間もそうであるとは限らないのだ。すぐさま飛べるようハエの羽はてのひらのなかにあった。




『どうした』

 突然耳元に聞こえる男の声。一次職時代からの腐れ縁であるハイプリーストからのWISだった。
 常に冷静で表情にも口調にも感情を一切出さない、整った顔立ちの青年。
 長い付き合いからか、他のギルドメンバーには分からなくとも、私だけが彼のわずかな言動からその心情をくみ取ることができた。
 そう、かつては。確かに分かっていたはずだった。

『……カイリ、何があった』

 その静かな声音は苛立ちとも心配ともとれる。
 つまるところ彼が私の身を案じてくれているのか、狩りを突如抜けて苛立っているのか、今の私には分からなくなっているということだ。
 何のいらえもせず、WIS拒否に設定した冒険者カードを荷物に押し込んだ。







「おまえは、モンスターじゃないのか?」

 辺りを警戒しながら進む道筋を、二人分のオーラが闇を薄めていく。
 モンスターも人の気配もどうやらないようだ。念のためサイトクリップを用いてから、私は足を止めた。
 振り返ると、光の粒にほのかに照らされ、オーラWSが不思議そうな表情をしていることを窺い知ることができる。

「花が好きなのか?」

 言葉が伝わらないのか、声が届いてないのか。
 オーラWSは私と少し距離をあけて立ち止まり、ただひたすらにてのひらに乗せられた花を見下ろしている。


「ハワード=アルトアイゼン」

 それが、このオーラWSの名前。


 花を潰さぬよう握り込みわずかに持ち上げる。それにつられて上を向いたオーラWSの紅い瞳を覗き込むように、私はその名を呼んだ。
 オーラWSの、ハワードの目が驚いたように見開かれる。
 コクリと頷き、口を開いた。何か喋ってるようだが、声は聞こえなかった。まるで私たちの間に透明の分厚い壁があるようだ。

「声は届かないみたいだな」

 声が駄目なら文字ではどうかと、宙に指で文字を書いてみる。それに対してもハワードは不思議そうに見ていただけだった。

「うーむ、何か方法はないか」

 コミュニケーションの元祖と云えば身振り手振りだ。
 ハワードを指さし、次に花を指し示し、己の胸を軽く叩いてみせた。
 花が好きか?と自分なりに表現したつもりだったが、やはりハワードは小首を傾げている。
 動作を大きくして再度繰り返す。何かしら意思の疎通ができないものかと躍起になっている己が可笑しかった。

 私の心の内を読み取ったのか、単純に動作が面白かったのか、ハワードが笑った。
 朗らかな邪気のない笑みだった。

 思わず目を奪われる。心臓がどくりと揺れた。





 ハワードの前に片膝を付き腰を下ろす。その傍らで、警戒しつつも主人に忠実なペコペコも膝を折り曲げ座った。
 紅い瞳が探るように見下ろしてくる。私は隣に座るように、床をポンポンと叩いた。
 わずかな躊躇。足音一つ立てずに近づくと、ハワードは私の横に腰を下ろした。半透明の身体から感じられる温もり。
 腕を伸ばし、彼の前でてのひらを広げてやる。ハワードは飽きもせず嬉しそうに愛おしそうに花を眺め続けていた。

 ハワードの手が伸ばされる。花を掴むことはできなかったが、てのひらに彼の体温がふれた。
 思わずその指を掴んだ。花が静かに滑り落ちる。
 ひらひらと落ちていく花を受け止めようとするのか、ハワードは私の手をふりほどこうとする。

 花にふれることなど叶わぬのに、それでも手を伸ばそうとする。愚かで憐れな行為。
 私は阻むようにさらに力を込めて強く握りしめた。

 てのひらは無駄のない堅い感触だった。そこから伸びる五本の指はしなやかで筋張っている。
 武器を握る冒険者の手であり、武器を生み出す鍛冶師の手だった。
 ハワードは抵抗せず私に手を握らせたまま、床に落ちた花を見つめている。
 手首を掴み骨のおうとつをなぞり、剥き出しの腕に手を沿わす。案外細いなりをしていた。
 この腕のどこから軽々と斧を操る力が生み出されるのかと、興味深そうにさわっていると、ぷいっと腕が振り払われた。
 呆れるほどのセクハラぶりに、さすがのハワードも眉を寄せ不審そうな視線を送ってくる。

「あ、すまない」

 あわてて頭をさげた。






 オーラを纏う威厳に満ちたパラディンが左に。右にオーラを纏う半透明のホワイトスミス。
 大の男が二人、並んで座って。初めてのお見合いのようにそわそわと。なんとかコミュニケーションを図りたいと試行錯誤を繰り返し。
 時間はあっという間に過ぎ去る。

 そんな主人を呆れたように半眼で見ていたペコペコが、マントをくちばしにくわえ軽く引っ張った。
 腹が減ったのか、眠くなってきたのか。
 生体での狩りは大抵一時間なので、水も食料も持ってきていなかった。
 ペコペコは甘えるように、私の手に顔を擦りつける。

 ハワードが目を輝かせその横から手を伸ばす。
 しかしペコペコはその手を嫌がるように顔を背けた。

「こら」

 手綱を引き寄せたしなめる。
 ペコペコは従順で人懐っこい。今まで誰の手であろうと拒むことはなかった。
 彼が人間ではなく、異形であるからか。警戒に羽を膨らませるペコペコを私は宥めるように撫でる。
 ハワードは軽く目を伏せ小さく笑って、行き場の失った手を引っ込めた。



「明日、また来る」

 私は身振り手振りでハワードに伝える。これだけは絶対に伝えておかねばならない。


「明日」
 腕を伸ばし指を向こうへ指し示す。その指をハワードは熱心に眺める。
「また会おう」
 ハワードを指さし、己を指さす。
「ここで」
 そして指を下に向け、床を指し示した。


 通じたのか通じてないのか分からない。だがハワードはこくりと頷いた。
 床に落ちていた花を拾いそっと手に包み込む。立ち上がったペコペコの手綱を握る。
 ここに置いていたら、ハワードは飽きもせずにひたすら眺めているだろう。
 もうすでにしおれかけはじめているこの花が枯れていく様を、ハワードには見せたくなかった。


「また、明日」

 もう一度繰り返す。ハワードの唇が動き、何か言葉を発した。
 それが同じ言葉であって欲しいと祈りながら、私は蝶の羽を握りつぶした。










 一瞬の浮遊感。目を開くと見慣れたプロンテラの街並みだった。
 狩りに出たのは昼前だったが、今はすっかり太陽が西に傾き辺りは薄暗くなっていた。


 昼でもなく夜でもない夕刻。

 かつては、人と魔物の世界が交差する刻とされた逢魔時とも、黄昏時とも呼ばれていたらしい。
 「誰そ、彼」とも比喩する誰彼時。「そこにいる彼は誰だろう。良く分からない」と洒落た言葉をつけたものだ。
 つい先程まで感じていたハワードの体温。しかしプロンテラに戻ってくると途端にその温もりは曖昧なものとなる。

 そっと握りしめる青い花を確かめるように、拳を胸に軽くあてた。
 「また、明日」と約束したのだ。明日また会いにいく。

 当たり前のようにギルドハウスへ向かいかけるペコペコを制し、街の西側へと手綱を取る。
 帰路を急ぐ人並みに、鮮やかな黄金色の髪が見えた気がした。
 全てが薄暗い闇に沈む中でも輝きを失わない黄金の色。その見慣れた色は友人であるハイプリーストのそれに似ていた。
 思わず振り返ったが、人混みに紛れその姿を確かめることはできなかった。




 プロンテラの街を出て西に広がる草原に腰を下ろす。川のせせらぎがかすかに聞こえる。
 仰ぎ見ると、星の美しい夜だった。
 脇腹に受けた傷もわずかな痕を残し、痛みはひいている。

 荷物の奥底に押しやられていた聖書を取り出す。
 表紙をひらき、花を置き丁寧に形を整えるとそっと閉じる。ひっくりかえして背表紙側を上に向けた。
 クルセイダー転職時に貰ったまま一度も読んだことがないとはいえ、さすがに尻に敷くのは気が引ける。
 辺りを見回し、大きめの石を拾って聖書の上に置いた。


 押し花にしておけば、多少色褪せてしまうが枯れることはない。
 陽のあたらない生体工学研究所でも置いておくことができる。なによりハワードが見たいときに見ることができる。
 押し花と一緒に、明日は新たな花を持っていってやろう。
 私は寝転がると目を閉じる。

 ハワードの笑った顔が脳裏に浮かんで消えていった。















 私はそれから毎日のように花を持ってハワードに会いにいった。
 ハワードも私を待っていてくれている。

 言葉も通じず、意思疎通もままならない。
 それでも私は紅い瞳を見ながら色々なことを話した。
 ただ黙って花を見ているだけのときもあった。

 話す言葉も、住む世界も、存在自体も違う。
 私はハワードがいるだけで、止め処もなく喜びと安らぎがあふれ出すのを感じた。















 背後に異質な気配。全身が粟立った。
 膨れあがる殺気を感じたと同時に、ハワードが私を突き飛ばした。
 一瞬前まで私が座っていた場所を光の槍がえぐる。黄金の光が爆発し砕け散る。爆風が吹き抜けた。
 砂塵が舞う中、目を細めハワードの姿を探す。主人の傍らでペコペコが威嚇するように羽を広げた。

「ハワード!」

 強い衝撃に煽られ地面に転がったハワードはつらそうに顔を上げる。ふるえる腕で上体を持ち上げ起きあがろうとしていた。
 見開かれた紅い瞳はまっすぐに襲撃者に向けられている。
 その唇が、セイレンとつむいだ。


 オーラを纏ったロードナイトのモンスター、名をセイレン=ウィンザー。


 身に纏う陽炎はまるで紅蓮の炎のように。金色の火花が飛び散る。
 静かに私に向かって歩み寄ってくるオーラLK。その優雅な足取りに合わせ緋色のマントがなびく。
 胸の高さに掲げたてのひらには、炎とは対照的な青みがかった白銀の光。握り込むと美しいひとふりの剣へと形を変えた。
 オーラLKが軽く白銀の刃を振り下ろすと、それだけで空気が振動しピリピリとふるえた。

 痛いほどに突き刺さる殺気を前に、私はただ呆然とその姿を凝視していた。
 私は今まで、これほどまでに美しい存在を見たことがなかった。




 ハワードが私を庇いオーラLKの前に立ちふさがると、その身体抱え込むように押しとどめる。
 必死の形相で何事か訴えかけるが、オーラLKは冷ややかな目で見返しただけだった。
 ふりほどこうとする腕を放すまいと必死に縋り付きながら、振り返り私に向かって叫んだ。
 声なき言葉で、逃げろ、と叫んでいた。

 彼を残して己だけ逃げることはできなかった。
 しかしオーラLKと戦う術も持たず、モンスターであるハワードを連れて逃げることも叶わない。
 結局、私にできることは何一つないのだ。血が滲むほどに唇を噛み締める。


「……すまない」


 ペコペコの手綱を握り、蝶の羽をきつく握り潰す。
 視界が変わる瞬間、オーラLKに振り払われ壁に叩きつけられたハワードの姿に、私は目を閉じた。



「花盗人」 2009.02.09
 
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