「……っふ、」

吐息と共にこぼれるのは低くかすれる声。

流れる汗が頬からあごのラインを伝ってポトリとシーツに落ちた。
かすかにふるえる睫毛。
伏せられた目が波打つシーツの行方をなぞる。
後ろからチェイサーの欲を受け入れ、アサシンクロスは甘い囁くような喘ぎをもらした。

チェイサーの欲が内壁を擦る動きは強い刺激ではなく甘い痺れを伴い、アサシンクロスの思考をじんわりと麻痺させていく。
目を閉じるとどちらを向いているのか分からなくなるほど。

アサシンクロスの両腕が身体を支えきれず崩れ落ちる。
チェイサーはそれに合わせ内壁を傷つけないよう、浅いところまで己の欲を抜いた。
汗ばんだてのひらが背筋を辿って首筋に吸いつき、やわらかく愛撫する。

アサシンクロスの情欲のみを引き出していくその慣れた仕草。
わずかな苦痛は甘い快感にすりかわり、悶えそうな快楽の中へ包まれていく。

チェイサーの動きを遮るように内壁をキュッと締めつけると、撫でていたその指がピクリとふるえた。訝しがる気配。

「……なんや?」

アサシンクロスは上体を大きく捻りチェイサーに手を伸ばす。首根に手をまわし引き寄せた。

それにこたえてチェイサーは身体を倒しアサシンクロスに顔を寄せると、吐息を絡ませるようなやわらかな口づけを落とす。
そして艶やかに揺れるアサシンクロスの双眸を覗き込みながら、唇をぺろりと舐めてニッと笑った。



力の抜けた身体がベッドに沈む。
しっとりと筋肉がきれいにつく胸が上下する。しかしその指は依然シーツをきつく握りしめたまま。アサシンクロスは目を閉じわずかに乱れた呼吸を繰り返していた。

じっと見下ろしていたチェイサーは、ゆっくりと目を閉じながら手の甲に唇をおしつける。
その感触にアサシンクロスは目を開き、チェイサーの横顔に視線を遣った。強張っていた指をほどき、離れていく唇を追うようにその頬へとふれる。
チェイサーはうっすらと目を開きその手に己のを添えると、手首から腕の内側へとなぞるように唇を少しずつ下ろしていく。

チェイサーに血を与えるたびに増えていく傷痕。
そのひとつひとつにふれていく。
苦しそうに悲しそうに目を伏せて。



傷痕はチェイサーを苛ますものでしかなりえない。

アサシンクロスは好きにさせていた左腕を取り戻し、再びてのひらでチェイサーの頬を撫でると親指で唇をなぞる。
わずかに力を込めると心得たチェイサーが指をくわえ甘く噛む。

歯列をなぞり下側を押して口を開けさせ、右肘で体重を支え上体を少し起こすと唇を重ね舌を入れた。口腔を丁寧になぞっていき舌を絡めとると強く吸い上げる。
手を頬から頭の後ろへと移動させ、小さく身じろぎ逃れようとするチェイサーを押さえこんだ。

チェイサーは深く重ねる口づけを嫌う。
決まって抗う仕草をしこちらの反応を窺う。止めれば安堵して力を抜き、続ければ諦めて力を抜く。

求められれば受け入れる。
それはかつて忍だったチェイサーの従順な、憐れな姿。
不安定な体勢のアサシンクロスを支えるように背中に回された手だけが、かすかにふるえていた。



アサシンクロスは己の体重を支えていた肘に力を入れチェイサーと身体の位置を入れ替えた。
そのつらそうな表情を見下ろし、唾液腺を指で刺激しながら舌をきつく吸う。
乱れる呼吸にあふれる唾液が絡みつき、息苦しいのかその手がアサシンクロスを退けようと押してくる。飲みきれない唾液が口の端からこぼれた。

「……アンタのはしんどいから嫌や」
「お前が下手なだけだろう?」
「…………むう」

ぷいと顔を逸らし口元を無造作に手の甲で拭うチェイサーに、アサシンクロスはかすかに意地の悪い笑みを向けた。



アサシンクロスが時折見せるやわらかな笑みや少し意地の悪い笑みは、チェイサーをドキリとさせた。
どうしようもなく惹かれている自分がいる。本当の本当にこのままどこまでも一緒にいってくれるんじゃないかと、つい妄想を楽しんでしまう自分がいる。

アサシンクロスがハイプリーストと連絡をとりあっていることを、チェイサーは知っていた。
こうやって一緒にいてくれるのは、ひとえにハイプリーストがアサシンクロスに監視役を命じてくれたからだ。

それはチェイサーにとって、しっかりと受け止められる実感のある幸せとなった。
アサシンクロスは監視役だから自分のそばにいてくれる、その事実があるから、何の疑いもなく安心してこの幸せな日常に浸っていられるだ。

アサシンクロスが監視役の任を解かれる時、アサシンクロスがハイプリーストの元に戻る時、底まで落ちた時、この幸せは終わる。
いずれくるその時にこのぬくもりに縋ってしまわないだろうか、手を離せるだろうか……。チェイサーは少し不安になる。



「傷だらけだな」

てのひらで身体の線をなぞりながら、アサシンクロスは無数に散る傷痕に視線を落としていた。

「まあな、あんま見てて気持ちええもんとちゃうし」

だから見るなと暗に示すチェイサーに気付かないふり。深い裂傷を刻む一つの傷痕に手をふれる。
皮膚が薄く感じやすくなっているのか、撫でるとチェイサーの身体がピクリと小さく跳ねた。

「……刀傷か。痛かっただろう」
「んな昔のこと憶えてへんわ」
「縫合の痕がないな」
「なあ、それより重いんや。どいてーな」
「……忍は手当ての仕方すら教えられないのか」

一向に退く気配のないアサシンクロスに、チェイサーは観念したように溜息を吐く。

「傷を負うような弱い忍は必要ないからな。動けなくなったらそこで置き去りや」

自ら命を絶つか、緩慢な死をただ待つか。

「……つらかったか」
「ん、それが当たり前やったからな。別に何とも思わんかった、」

言葉を切りチェイサーの視線が宙をさまよう。

「何とも思わんかったら、……バケモノにならんかったな」

そして小さく自嘲する笑みを浮かべた。


「俺は人を殺してでも、生きたかったんや」




***



最初から鬼退治じゃないのは分かってたんや。いよいよお払い箱なんやなって。
あの場で一言死ねって命じてくれれば、この醜い欲望を知らずに気楽に終わることができたんや。

丸腰で縛られた。ご丁寧に目隠し付き。
でもむさくるしいおっさんがおることはびんびん伝わってきたで。
これからナニされるのか容易に想像ついたし。まあ怖くはなかった。痛いのはあんま好きやないけど、最後やし適当に気持ち良おさせてやって後はおさらばすればええって思ったんや。

でも舌噛もうとしたら猿轡されたんや。残された唯一の命を絶つ術が無くなった時、恐ろしいほどの恐怖がきた。
忍は道具や。この身体全て主のものやったけれども、死だけは唯一己のものやった。唯一の逃げ場やった。
だから自ら命を絶つことができないことは、抑えきれないほどの恐怖やったんや。

ものごっつ暴れて縄をほどこうとした。ほんの少しでも手が動かせればいくらでも死ぬ方法はあったからな。わずかでも縄が緩めばそれで良かったはずやったんや。

足を縛っていた柱が折れ、足首に繋がった縄を拘束されたままの後ろ手で掴んで、上に乗っていた男の首を絞めた。
逆上した奴らは決まって刃物を出す。それを利用してもう片方の縄を切らせて動けるようになった。

あの時の俺の中にあったのは死ぬことやなかった。
ただ逃げることやったんや。

揉み合ってるうちに目隠しがずれてな、真っ先に俺が探したのは逃げ道やった。
もう隠しようがなかった。はっきりと思い知らされたよ。
俺は死へ逃げたかったんやない。生きて逃げたかったんやって。

自由に生きてみたかった。誰にも縛られず誰にも命令されず、自由に生きてみたかった。
これは忍の分際で不相応な願いを持った俺に対する罰なんや。



「……な、んで……泣くんや」

己が泣いてることすら気付いてないのか一人のまだ若いプリーストが頬を濡らす溢れる涙を拭おうともせず、ただ鬼の目をじっと見つめたまま立ちつくしている。
そのあまりに痛ましげな姿に鬼は思わず久しく使っていなかった声を、言葉を絞り出した。

「君は間違ってるよ。……生きたいと願うことは罪じゃない」

その唇から紡がれる声音は鈴の音のように、鬼の心に染み渡り一瞬にして抜けていった。鬼は今までこんなに優しく包み込むような声を聞いたことがなかった。

ひどく戸惑った様子の鬼に、プリーストは困ったような幼子をあやすようなそんな表情を向ける。

「ねえ待ってて、僕がいつか必ず君を助ける」

今の僕の力じゃ君を救うことはできないんだとつらそうに呟いて、首に掛かるロザリオを引きちぎった。
歌うような祈りの文句にあわせ、手に握り込むロザリオが少しずつその輝きを増していく。

それまでもう誰かを傷つけて君自身が傷つかないように、君を眠らせるよ。

「……おやすみ、悲しい鬼」





「お呼びですか?」

後方から声をかけられ、大司教は過去の記憶から覚めた。

「鬼はどこにいる?」
「今はコモド辺りに。監視の者を共につけてます」

大司教の問いに、アサシンクロスの主であるハイプリーストが答える。
この背を向ける男こそ大司教に座するハイプリーストであり、実父であり、そしてモモタロその人である。

「悪魔払いに入る」

ようやく完成したと窓の外に視線を遣ったまま大司教は言った。

「……はい」
「人形はどうした?」
「…………別の場所で保管してます」
「鬼と人形を連れてこい」



部屋に置いていたマジシャンの正体は、キエル第四世代の機械人形だった。

ローグから鬼の力を切り離し、マジシャンに封じ込め壊す。
鬼の力を封じるためだけに作られたよりしろ。
来たるときまでハイプリーストにペットとして扱われる、ただそれだけの存在。……そうでなければならなかった。

それなのに、まさか鬼が人形に感情を与えてしまうとは……。

「奇跡は起こらない。ならば私が奇跡を起こすまでのこと。明晩執行する」
「……承知いたしました」

ハイプリーストのきつく握り込んだ拳から血が流れ落ちた。




「俺を縛ってください、アンタの手で」 2009.4.19
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