人の命を奪わないと生きられない自分が情けなかった。
どこぞの家畜だろうか、膝をつく目の前にロウのように白く硬くなったニワトリの死骸が転がっていた。
惨めだった。情けなかった。



それでも喉の渇きは癒やされない。



親元を離れ一人で遊ぶ幼子が視界に入った。
ゆらりとシーフは立ち上がる。
頭の片隅でよせ嫌だやめろと声がする。しかしそれ以上にそのやわらかな幼子の肌に視線が吸い寄せられた。

やわらかな肌を切り裂く興奮に、赤く染まった右手がわななく。
幼子に振りかざそうとしたその短剣は、投げつけられたナイフによって防がれた。足下に突き刺さったナイフと短剣を持つシーフに気付くと、幼子は弾かれたように逃げ出す。

シーフの前に音も立てず着地したのは、アサシンクロス。
せっかくの極上の獲物を邪魔され、シーフは腹立たしげにアサシンクロスを睨み付けた。
アサシンクロスはシーフに相対し、静かな視線を寄越す。



シーフが先に打って出た。
素速い身のこなしでアサシンクロスの懐に入り低い姿勢で短剣を下から上へと振り上げる。赤い手に握られた剣先は緋色の軌跡を伴いアサシンクロスへと襲いかかる。

アサシンクロスは両手に短剣を構え、片方の短剣で攻撃を弾くと同時に片方の短剣をシーフへと鋭く突き出す。
小柄な身体は攻撃を避け軽く後方へと飛んだ。
間髪入れずアサシンクロスは短剣を薙ぐ。シーフは咄嗟に飛び退いた。アサシンクロスの短剣によって生み出された風圧が目に見えぬ刃となりシーフが一瞬前にいた場所を深く抉る。
両者の間に立ちのぼる土煙を切り裂き、アサシンクロスはシーフへ突進すると短剣を繰り出す。

激しい短剣の攻防戦に、刃がぶつかる鋭い金属音が辺りに響く。
アサシンクロスの速く重みのある刃を、小柄なシーフの未発達な腕では受け止められず、短剣が力負けしわずかに押される。
そのズレがシーフを劣勢へと追い込み、幾度となくアサシンクロスと間合いをとるため後方へと下がらざるおえなかった。

飛び退いたその足下にアサシンクロスはすかさずベナムナイフを投げつける。
バランスを崩し地面に転がったシーフは間近に迫る短剣を素速く一回転してかわし、上体を起こすと同時に短剣を突き立ててくるアサシンクロスの目に砂を撒いた。

アサシンクロスは咄嗟に目を閉じ気配で太刀筋を読み取り身体を捻って避ける。だがかすかにシーフの短剣がアサシンクロスの布地を切り裂いた。

その口元がニヤリと嗤う。
狂気に染まるシーフは確かに強かった。
アサシンクロスをねめつけながら短剣の刃を愛おしそうに舐める。次は肉を切り裂いてやるとでも言うように。



アサシンクロスは一呼吸すると目を閉じ集中する。

迫ってくるシーフの短剣を受け止めると目を開き身体の中心へと溜めた気を一気に放出する。
アサシンクロスを中心に毒を帯びた紫色の渦が立ち上り周囲へと広がりながらかまいたちのように切り裂いた。
間一髪で後方に飛び退いたシーフだったが、わずかに毒を吸い込んでしまいぐらりと身体が傾く。

その足下にソウルブレイカーが打ち込まれた。
シーフが不安定な体勢で飛び退き着地する場所へさらなる追撃を加える。何とかかわしたものの空中で体勢を崩し地に膝を突いてしまったシーフは次の一手を避けきれず、強い衝撃に身体が吹っ飛び地面にたたきつけられた。

起きあがろうとしたその目の前にアサシンクロスが息一つ乱さず立ちふさがる。見下ろしてくる視線は何の感情も読み取れず湖面のような静けさをたたえていた。

シーフは舌打ちし後方に飛び退いて短剣を構え直そうとしたが、動きを読んでいたアサシンクロスの方がわずかに速かった。
短剣を握りかえし、柄でシーフの鳩尾を打ち込む。

その小柄な身体から力が抜け意識を失ったシーフをアサシンクロスが抱き取った。




***



シーフの身体が支えを失いベッドに沈み込む。

アサシンクロスの欲をひたすら受け入れ続け一日が経とうとしていた。力なく崩れるその身体には全身に残る傷跡を覆い尽くさんばかりの痛々しい情欲の痕。

アサシンクロスの狂気じみた行為にも、シーフは慣れた身体で受け止めそして受け流す。意識を失うのも有効な一つの手段だ。
シーフは時に煽るように甘い嬌声をあげ腰をふり、気を静めさせるように意識を手放してみせる。
計算された一連の行為を繰り返しておけば終わるはずだった。

しかしアサシンクロスの手は一向にシーフを離そうとしない。

シーフの身体は少しずつ音を上げはじめ、アサシンクロスはシーフの本性を引きずり出そうと抱き続けた。

抱かれる方もつらいだろうが、抱く方も体力を消耗する。精液だって蛇口を捻ればいくらでも出るってものではない。根比べというか意地の張り合いになりつつあった。

「もう無理や、勘弁してーな」

気の抜けるようなゆるい口調でシーフが戯けたように呟く。シーフもといローグがよく性行為の間に口にしたお決まりの台詞だった。

しかしその軽い口調とは裏腹、逸らされた目は心のふるえを必死で隠すように揺れている。
与えられる苦痛や快楽に身体が追いつかなくなってきたのだと、アサシンクロスは悟った。



獰猛な獣が獲物に狙いを定めるようにアサシンクロスの双眸が狂喜に閃く様を、シーフは息を呑んで見上げた。
怯える手でアサシンクロスを押し退けようと藻掻く。

「いや……っ、やめ……!」

しかしさらなる強い力に組み敷かれ、心の底から悲鳴があがった。

余計な力が入りガチガチに強張った身体が、アサシンクロスの欲に不器用に絡みつき内壁に傷をつける。
痛みと圧迫感にシーフは呻いたかと思うと、次は予期せぬ快楽に翻弄され呼吸もままならない。

いつものように慣れすぎた身体は楽な姿勢をとろうと条件反射でよじる。しかしその疲れ切った身体はアサシンクロスよりも遅れをとり反応が間に合わない。
身体の奥を蹂躙する欲が思わぬ角度ときつさで突き上げてくる。

苦痛に近い激しすぎる快感をやりすごそうとアサシンクロスの欲を締め付ける内壁に意識すると、意地の悪い指が胸の突起を触れるか触れないかぐらいにかすめるように弄る。
思いがけない刺激にシーフの身体が仰け反り呼吸が一瞬止まる。

なんやねんコレ俺処女みたいや格好悪ぃと、自嘲する言葉は声にならず苦い吐息と共に吐き出した。
何度もいかされもう一滴も残ってない己の欲は触られると焼け付くようなヒリヒリとした痛みしか感じられない。
アサシンクロスの手によって扱われ擦られると、手を離して貰えるまで泣きながらもういややと哀願するしかなかった。

「……っや……もう、放しっ………」

赤子が小さくしゃっくりをするように苦しそうに喘ぐシーフに優しく唇を重ねる。
ぎゅっと閉じられた瞼に口づけを落とすと、涙で濡れるシーフの目が開きアサシンクロスを見上げた。

初めて垣間見せた演技ではないシーフの淫らな痴態に、愛おしさがこみあげる。愛おしいから優しくしたい。狂おしいほど愛しいから壊してしまいたい。
アサシンクロスはまだ、捕らえた獲物から手を離せそうにない。





精根尽き果てぐったりとシーツの波に沈むシーフの横にアサシンクロスは座り、左手を目の前まで持ち上げると前腕の内側に爪を立てた。食い込んだ所から赤い血の玉がぷくりと浮かび上がり、さらに力を込めると血が滲み出る。

そのまま爪を肘に向かって下ろしていくと、それをなぞるように赤い筋が伝う。肘からこぼれる赤い雫がシーフの目の前でポトリと落ち、白いシーツに赤い染みをつくった。

疲れ果て弱々しく浅い呼吸を繰り返していたシーフが思わず息を詰めた。甘い香りから視線を逸らすようにシーツに顔を埋める。

アサシンクロスは力の入らないシーフの上体を抱き起こすと、その口元に血が流れる腕を持っていく。
嫌がるようにかぶりをふるシーフの顎を掴み顔を固定させると、傷口を唇に押し当てた。

シーフは堪えきれず舌を這わした。
喉が小さくこくりと鳴る。流れる血をシーフは恐る恐る舐める。伏せられた目は哀しみをたたえていた。

やがてシーフは口を離し、その手でアサシンクロスの腕を押しとどめた。



「いつかお前は、崖から落ちそうになっている主とお前のどちらを助けるか訊いたな」
「そうやったっけ」
「お前が私の毒に犯されてたときだ」
「ふうん、……で、答えはでたんか?」

「私は、主を助けようと思う」
「……ん、そっか」

アサシンクロスの胸にもたれかかり、シーフは力なくおろされていた赤い右手を見下ろす。
この手が何かを掴んだことは一度もなかった。今更悲しむことでもない知っている分かっていたことだ。

「ところで、その崖の高さはどれぐらいなんだ?」
「へ?」

感傷に浸っていたシーフが思わず間抜けな声をあげアサシンクロスを見上げる。
いやあそんな真面目にとられてもと困惑する。どうなんだと繰り返し問われ仕方なくシーフはうーんと唸った。

「んーそうやなぁ。ものごっつ深いんや、下が見えんほど」

たくさんの命を殺めてしまった自分にはそんな場所がお似合いな気がした。ってか、ぽいっと飛び降りれるぐらいの低さやったら助けいらんやんとシーフは笑う。

「そうか……。月並みで悪いんだが、聞いてくれるか」

シーフの身体を再びベッドに横たえると、その上にアサシンクロスはおいかぶさった。
怯え身を固くするシーフにアサシンクロスは血の味がするその唇を吸い甘噛みする。

「主を助けた後、私はお前を追って崖から飛び降りようと思う」
「は?」

シーフは狐につままれたように呆けた表情を向ける。

「そしてつかまえて抱きしめる。深ければ深いほど、お前を長い間抱いていられる」
「底が深ければ深いほど、お前を誰の目にも触れさせない。……ずっと私だけのものだ」

吐息がふれるほどの距離でアサシンクロスの真っ直ぐな視線に射抜かれ、シーフは目を見開いた。

「私も共につれていってくれないか」



「……ほんまべたなオチやなぁ」

ふるえる両の手がゆっくりと持ち上がりアサシンクロスから顔を隠すように手で覆い、シーフが小さく呟くようにそう笑って、

「…………おおきに」

指の合間から涙が溢れ頬を流れた。







「ん、これスロットついてない」

アサシンクロスが先程購入した靴を眺め、首を傾げる。
その顔色は病的なまでに青白く鋭利な美貌にさらなる凄みを与える。しかしその表情はどこまでも穏やかで。

「ぎゃーす!なにやっとんのや、今時そんな詐欺露店に引っかかる奴おらんで!」

その露店どこやと駆け出そうとするチェイサーの襟首を捕まえる。

「やめておけ、よく確認して買わなかった私が悪い」
「せやかて!…………むう」

やんわりとたしなめられてもチェイサーはまだ諦めきれない表情で立ち止まっている。
そんなチェイサーを置いてアサシンクロスは歩き出す。

「あっ、おい、……ちょ! 待ってーな」

チェイサーは小走りにその背中を追いかけ、ふり返り口元に微笑を浮かべるアサシンクロスの隣に並んだ。



二人が墜ちる先は深い深い闇。
底にぶつかって身体がこなごなに砕け散るまで、あともう少しだけ、どうかこのままで。




「AGAPE」 2009.4.12
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