クスッ。 薄らと笑みに歪められた唇を、赤い赤い濡れた舌が舐める。 その整った横顔の、美しく嵌め込まれた瞳が捕えたもの。 姿は見えずとも、匂いを嗅ぎつける。 もうその人間離れした嗅覚は、ただただ気味が悪いほどに。 「ちょっと行ってくる」 指に挟んでいた吸いかけの煙草を弾く。 正義の味方である彼らは、悪者をこらしめるのが使命。
“正義のヒーロー” 2011.02.22 あと一歩のところまで追い詰めたはずなのに。 込み上げる怒りと苛立ちに総毛立つ。 毎度毎度邪魔に入るこのロードナイトが、今回も例にもれずしゃしゃりでてきた。 敵対ギルドのスパイを取り逃がすことはできない。 その存在を処分するはずだった刃が、ロードナイトによって阻まれた。 「正義のヒーロー参上?」 つばぜり合いする刃の向こう。そう宣言した男が顔を近づけニィッと笑う。 ってか、悪者だったら悪者らしく俺らを倒しにきてくれないと困るんだよ。 こんな雑魚と遊んでないでサ。 ……すっげ邪魔。 ぺらぺら喋るヤニ臭い息に、チェイサーは顔をしかめる。 視界を占めるロードナイトの忌々しい顔、その端に逃げていくスパイの姿を捉える。 力任せに剣先を弾き反らせると、鬱陶しいロードナイトの脇をすり抜ける。 なー、無視すんなよ。 愉快そうな声が、チェイサーの耳元に低く囁かれ。 咄嗟にバックステップで下がったその足元に抉るような軌跡が走った。 間髪入れず刃が煌めく。速く強い剣筋にチェイサーが押されていく。 こうしてる間にも標的を見失ってしまう。また一段と空いてしまった距離に焦りが滲む。 チェイサーは地面を蹴り、枝に飛び移る。 立ちはだかるロードナイトの頭上を飛び越え、跡を追うとした。 その背後に瞬間的にふくれあがった強靭な気。 必死に身を捩って躱そうとしたもののかなわず。 光の槍から生み出された爆風に煽られ、もろに地面に叩き付けられた。 その衝撃に息が詰まる。 ぶれる視界に、もはやスパイの姿はなかった。 ……なにが、正義のヒーローだ。 血の混じった唾を吐き捨てる。怒りに歯ぎしりする。 軋む身体を起こそうとしたが、その背中を踏みつけられ地面に縫いつけられる。 「まあ、正義は勝つってヤツ?」 忌々しく睨みつければつけるほど、見下ろすロードナイトは笑みを濃くした。 これも毎度のことながら散々抵抗してみたがどうしようもなく。 力も体格も勝るロードナイトに連れられ。 チェイサーを出迎えたのは、こちらも毎度のつまらなさそうな表情の男たち。 ハイプリーストと、修羅とパラディン。 ロードナイトを含め、この4人がいわゆる正義のヒーロー。 パラディンの上で腰をふる女は、興味深そうにチェイサーを見遣る。 「おまえさんもうちょっと、頑張ろう、な?」 チャンプが心底呆れた表情で、憐れむような言葉を投げかける。 気持ち悪いほど嬉しげなロードナイトを見送ってから、五分と経っていない。 移動時間も勘定にいれれば、どこぞのウルトラ星人よりも仕事が早いわけで。 もちろんその間、パラディンの射精もなく、女も絶頂を迎えていない。 チェイサーは溜息まじりに言葉を吐く。 「なんで邪魔する」 「だって最近全然遊びに来てくれないんだもん」 つまんなーいと唇をとがらせるロードナイトは、チェイサーの首筋を舐める。 「……おまえらの命ばかり狙ってるほど、こちらも暇じゃない」 「だから、俺から会いにいってあげたんだよ」 後ろ手で捻りあげられ、ロードナイトの腕の中から抜け出すことができず。 上着を取り払われ、手首まで覆ったインナーを脱がされれば。 細い白い腕に刻まれる、消えることのない赤い赤い緊縛の痣。 「相変わらずの主従関係ね」 パラディンの揶揄する声。 奥まで突き上げられうっすらと目を細める女の、好奇の視線に撫でられ。 不躾に素肌を這わせ始めたロードナイトの指に快楽を委ねていく。 女のように、道具のように扱われるのには慣れている。 ……興味なし、か。 ロードナイトに組み敷かれ、濡れた瞳が聖書を開くハイプリーストを捉える。 チェイサーは諦めたように目を閉じ、全てを投げ出すように手足の力を抜いた。 繋がったまま、熱っぽい細い身体を抱きしめる。 熱い乱れた吐息が肩口に。すぐ間近に意識を失うチェイサーの苦しそうな表情。 ……いつも微熱だな。 安らぐことのない身体と精神。体力も力も速さも、判断力も落ちてきている。 ってか、罠ぐらい気づけよ。 あのままこいつがあのスパイを追っていたら、捕えられ命を落としていた。 あれは決して雑魚ではない。わざとおびきよせていただけ。 薄い背中にてのひらをあてがい、ゆっくりとお互いの身体を横たえる。 繋がりが角度を変え、チェイサーの顔が苦痛に歪む。 甘い情事の痕と言うには深すぎる爪痕に、さらなる力が加わる。 ロードナイトの長い髪が流れ、その毛先にチェイサーは身体をふるわせた。 まあとりあえず無事でよかった。 うすくひらいた唇を軽く吸う。 帰ったこいつに待っているのは、ご主人様からのお仕置きだとしても。 *** 身体が痛い。 よろける歩み。チェイサーは太い幹から伸びた根に足を引っ掛け転ぶ。 一夜縛られた腕も足も、玩具を入れられた尻も、鞭うたれた背も。 痛くてつらくて、……こわくて。 手足を引き寄せ、項垂れ身体を丸める。目を閉じる。 この決して優しくない世界が大嫌いだった僕に。 手を差し伸べてくれたのは、僕と同じ薄汚れた痩せっぽっちのシーフ。 一緒にいこう、って。僕を連れ出してくれた、大切な君。 僕たちは盗まないと生きられなかった。 人のものを奪って騙して傷つけないと、僕たちは生きていけなかった。 誰が正義とか悪とか決めるのかしらないけれども。 僕は君と一緒に、生きてきた。悪者の部類で。 あの人はなにかおかしいと思ったのに。 惹かれていく君を、僕はとめることができなかった。 「……やっぱ野郎に告ったらやべーよな」 困ったような照れたような表情で。 酒の勢いで零した弱音に、僕は頷けなかった。 裏切ったり、騙したり、殺したり、そうやって生きてきた僕たち。 君があの人に騙され、こっぴどく裏切られ、踏みにじられた。 もう、女を抱けない身体になり、君の分身を残せなくなった。 君は変わってしまった。壊れてしまった。 あの人と、ハイプリーストと同じ金色の髪をきつく鷲掴みにされ壁に叩き付けられる。 腕を拘束され受け身も取れないまま床に倒れ、中を犯す異物の硬さに呻く。 焦点の合わない血走った眼は、僕を通してあの人を見ている。 僕のペニスを掴み、中に入れては締めつける。 狂ったようによがる君を見たくなくて目を閉じる。 君を犯しているのは、僕じゃない。 毎日が怖かった。毎日が絶望だった。 君から離れたくて、逃げてみたけれども、結局は連れ戻された。 僕を追ってきたギルドメンバーたちの、怒りと憐みの目。 僕がいない間に、ギルドメンバーが、仲間が殺されていたから。 同年代の、比較的仲の良かったメンバーのひとりが繋がれていた。 恐怖に引きつった顔で、おまえのせいだと叫ぶその喉元に。 血に染まった君の刃が吸い込まれる様を、僕は見ていた。 助けて…… ロードナイトがふりかえる。 ハイプリーストは舌打ちし、煩わしそうに黄金色の髪をかきあげた。 耳に聞こえずとも、助けを求める声が聞こえる。 正義のヒーローの心に。 チャンプとパラディンも立ち上がった。 狂ったアサシンクロスはハイプリーストに任せ。 血塗れのチェイサーをロードナイトは抱き上げ、チャンプが繋いだワープポタールにのった。 生の証である呼吸。それはもう細く小さく。 チェイサーの鼓動を止めかねない激痛を、パラディンが引き受ける。 チャンプは傷口にてのひらをあて、途切れかけていた気の巡りを整える。 ロードナイトに抱かれ。苦痛に歪んでいた表情がやわらかくなり。 生まれたての赤子の如く安らいだチェイサーが、ロードナイトの胸に身を預ける。 「……なんて顔してんだ」 血に塗れた法衣。戻ってきたハイプリーストがつまらなさそうにそう評す。 ロードナイトは耳まで赤く染めて。 柄にもなく、くすぐったそうにはにかんだ。 居場所のないチェイサー。 太い幹の元。穏やかな日差しと心地よい風。 いつのまにかチェイサーは小さな寝息をたてていた。 その枝の上から静かに見下ろすのは、ロードナイト。 そっと見守る、正義のヒーロー。 正義の味方である俺は、おまえを守るためにいる。 |