「す、好きなんだぁぁっ!」

 それが目の前に立つ男の、今回の依頼主の第一声だった。
 近くで露店を開いていた商人や通行人の好奇と怪訝をない交ぜにした視線が痛いほどに突き刺さる。不自然なほどの静寂の中、依頼主のエコーだけが響き渡った。
 隣に立つアサシンクロスから殺気を感じ、武器を仕込んである腰に忍び込ませようとしていたその手を咄嗟にチェイサーは抑えた。アサシンクロスが手に掛けているのは間違いなくポイズンナイフ。
「お、抑えて。……依頼主ヤッちゃったら報酬入らない、から……」
 小声で呟くチェイサーを睨み下ろし、アサシンクロスは舌打ちする。その手を煩わしそうに振り払い目に見えぬ早さで無造作に投げたポイズンナイフは、ポカンとこちらを眺める露天商の隙に万引きをしようとしていた男の後頭部にさくりと吸い込まれた。
「ぬおおおおおおおおっ」
「ひぃぃ。だ、誰かプリーストさまをっ! ヒールを! 解毒を!」
 地面に倒れどくどくと血だまりを広げる男の回りに人だかりが集まる。注目がそちらに移り、チェイサーはナムナムと胸中で手を合わせてから依頼主を引っ張り噴水の反対側へと移動した。






 “恋って、美味しいですか?”
2009.11.13




 依頼主はハルバードと名乗った。深みのある青い髪が日焼けしていない陶磁のような青白い顔を病的に際立たせる。
「君たちが、僕の依頼を受けてくれるんだね!」
 何故か唐突に半歩下がったうさぎさんを不審に思い横目で見遣ると同時、いつの間にか伸ばされていたハルバードの白く細い両手が俺の手をガッチリと掴んだ。
 咄嗟に視線を戻すと、すぐ目の前に、流石に近すぎるだろうそんな距離にキラキラとした青い瞳。
「……そ、そうです」
 依頼主の機嫌を損なわぬよう引きつった笑みを浮かべ、さりげなく手を奪い返そうとするがなかなか外れない。興奮しているせいかもともと体温が高いのか、汗ばんだ温もりが気持ち悪い。


「ほいほい起きあがれ、リザレクション」
「おお、生き返ったぞ!」
「そして逃げたっ?!」
「うわあぁ、アイツを捕まえてくれ! 万引きだ!」
「ナニー! 追え! 追えー!」


「……依頼内容は?」
 低く張りのある声。俺の恨みがましい視線と騒がしい外野を煩わしそうに、あからさまに眉を顰め。腰に仕込んであるナイフをしきりに弄る手が怖い。
「かなり重要な事だよ。真剣に取り組んで欲しいんだ!」
 ハルバードは相変わらず俺の手を掴んだまま。無造作に切られた癖のあるふわふわの銀色の髪に、紅い瞳。間違いなく美形に分類されるであろううさぎさんの整った顔に熱い視線を向けた。
 そう、今回の依頼内容は!と声高に宣言し、間を持たせるように呼吸を整えた。どこからかエンドロールが流れてきそうな勢いだ。


「僕の恋愛の悩みを聞いて欲しいんだ!」




「こっちに行ったぞ! 追え追うんだ!」
「どうした?」
「あ、騎士団の皆様! 万引きなんです! あの血まみれの男が犯人ですっ!!」
「よし、第一師団出動。犯人はプロンテラ城に向かって逃走中。橋を封鎖しろ」
「だ、団長っ! レインボーブリッジ封鎖できませんっ!」

 遠くで追いかけっこが始まる。今日のプロンテラもどうやら至って平和らしい。


「僕には幼馴染みの女の子がいるんだ。彼女の名前はスザンヌ。彼女はイズルードに住んでてね。僕と彼女は、誕生月も7月と同じで、食べ物の好みも同じ、学校も同じ。ずっと仲良しにしてきたんだ。でもね、最近、スザンヌが妙に大人っぽくなってきたんだ……。ずっと幼馴染みとしてしか見てこなかったんだけれど、最近、彼女を見ると、胸が熱くなって、苦しくなるんだ。そう、僕はスザンヌを愛してしまったんだ! 意識してしまって、最近スザンヌと話すこともできないんだ……。彼女が他の男子と話しているだけでやきもちをやいてしまう。 もう、この気持ちが抑えられない! だから、彼女にこの気持ちを伝えようと思うんだ! 告白しようと思うんだ!」

 まじ勘弁して欲しい……。

 掴んだ手を握ったまま身を乗り出し鼻息荒く訴えてくるハルバードに必死で笑みを向ける。ひっきりなしに過剰なほど相づちを打つ。隣に立つうさぎさんが怖い。みなぎるほとばしる殺気がとてつもなく怖い。忍耐そう忍耐だ。耐えろ、俺。

「君たちはこのことについてどう思う?」
「ソレデイイトオモイマス、ハイ」

「でも、告白することで今までの関係が壊れるんじゃないか、嫌われてしまうんではないか、と思うと、急に尻込みしちゃうんだ……」
 気弱に呟くハルバードの表情は、困ったような苦しそうなでも無理矢理にでも笑みを作ろうとしていて。必死に掴んでくるその両の手が、小さくふるえていることに今頃になって気が付いた。

「ううっ、胃が痛くなってきた……。あいたた。ぐわぁぁぁぁぁっ! 本当に痛い! いてててててて!」
「え、えええ、大丈夫か?」
「うう、悪いけど……ミルクを持ってきてくれない? 痛くて動けない。胃に優しいミルクが欲しいっ!」
 お互いの荷物に入っているのは、水とマステラ酒。ミルクなど持ち歩いてる訳がない。
「うさぎさん、ミルク買ってきて」
 常に使いっ走りは俺の担当だが、うさぎさんに留守を任せるとこの依頼主をうっかりヤっちゃいそうな気がしてならない。うさぎさんも介抱役は御免被るのか何も言わず背を向けた。
 噴水前のベンチにハルバードと二人腰掛け、彼の声に耳を傾け相づちをうち介抱しながら、でも意識はつい人混みに紛れ見えなくなったうさぎさんの背中に。


 俺は知っている。うさぎさんにずっと思い続けている人物がいることを。
 それは、一人のハイプリースト。しかも性別は、……男だ。
 聖職者であり結婚しないとはいえ、やはり男が男を想うのは、かなりやばいんじゃないだろうか。


 ぼんやりと虚空に視線を向けていた俺の視界に、ぬっと現れるうさぎさんの紅い瞳。頭の上に容赦なくゴツンと置かれた硬質の感触は、間違いなく牛乳の瓶。
「何を間抜け面している」
「……るっせ、地だよ」
 牛乳瓶をひったくるように奪うと、蓋を開ける。いつのまにか喋り疲れたのか本当に胃が痛いのか、ぐったりとこちらに寄りかかっていたハルバードの身体をやわらかく揺り起こした。
「うはぁぁっ! そ、それはミルクっ! お願い! それを僕にっ! あ、ありがとう! では、早速!」
 牛乳瓶を見るや否やガバッと起きあがると、差し出す俺の手ごとがっちり掴み飲み始める。手を奪われ自然とハルバードに引き寄せられる上体。瓶から牛乳が減る度に上下する喉から視線を背け、もう好きにしてくれと諦め混じりの溜息。二人分の温度に表面に付いていた水滴がハルバードと俺の手を伝い腕に流れ落ちた。

「〜〜〜〜〜〜〜っあああ! うめ〜〜〜っ! 生き返った〜!」
 最後の一滴まで飲み終わりようやく俺の手が解放された。もれなく牛乳瓶つきだ。
 よく冷えた瓶を掴んでいた手の平はまだ冷たさを残し、上から押さえ込まれていた手の甲はハルバードの温もりが残っている。でも、最初に感じた気持ち悪さはもう感じられなかった。
「本当にありがとう! 痛みが治まったよ! でも、我ながら情けない……。ここまで、悩んでしまうとは……」
「頑張れ」
 自然と口に出た励ましの言葉。ハルバードが驚いたように目を見開きまじまじと見つめてくる。居心地悪く視線を逸らすと、ハルバードがはにかむように笑顔を向けた。
「ありがとう。少し勇気が出てきたよ」


「何もしないで後悔するくらいなら、行動をおこして、後悔する方がいいよね」


 うさぎさんはどうするのだろう。
 いつかは告白とかするのだろうか。
 断られたらどうする? 気持ち悪いって言われたら? 避けられたりとかしたら?
 でもきっとあのハイプリーストはそんなことしないと思うけれども。

 うさぎさんが傷つけられたら、俺は……。


「僕決めたんだ。スザンヌに告白するよっ! どんな結果でも後悔しない。それで、彼女に告白する前に、彼女が喜ぶプレゼントを渡したいんだ。そこで、お願いなんだ。彼女が欲しいものを調べて欲しいんだ。直接僕から聞くと、いかにもプレゼントを考えています、って感じだからさ。う〜ん。直接スザンヌに聞いてしまうと、怪しまれちゃうかもね。そうだ! そういえば、最近、スザンヌはイズルードの道具屋に通っているって聞いたぞ、そこの道具屋の店員なら彼女の好みを把握しているかもしれない!イズルードの道具屋に行ってみてくれないかい?」

「行くぞ」
 強い力で腕を引っ張られ、身体がベンチから引き離される。ふと我に返り振り仰ぐとうさぎさんの不機嫌そうな表情。ハルバードが何か喋ってた気がするがどうやら見事に聞き流していたようだ。腕を掴んだまま歩き出すうさぎさんに引っ張られ、引きずられるように足がよろけ歩き出す。
「ありがとう! 頼んだよ!」
 手をぶんぶんと振るハルバードに困惑した視線を返し、何を頼まれたのか、これからどこに向かうのか分からず、黙ってうさぎさんの後をついていく。
 南門を抜け臨時を求める人の波、狩りに出掛ける前の独特の昂揚感漂う活気をすり抜け緑の平原を進む。どうやらイズルードへ向かっているようだった。依頼先がイズルードなのかそれとも宿屋に戻るのか。チラリとうさぎさんを盗み見すると、その横顔はさらに輪を掛けて不機嫌そのものだった。

 ううう、俺の方が胃が痛くなりそうだ。俺にもミルクをくれ……。




***



「いらっしゃいませ!」
 道具屋に足を踏み入れた俺たちに気付き、ふり向いた女性店員がうさぎさんに思わず視線を奪われ頬を染める。もう見慣れた光景だった。
「お聞きしたいことがあるのですが」
 うさぎさんの声にハッと我に返り、女性店員はバツが悪そうにどこか恥じらうように目を瞬かせた。そしてニッコリと俺にも微笑みかける。
「はい、何でしょう?」
「スザンヌという女性を知っていますか?」
「あら、スザンヌの友達? スザンヌはよくこのお店に来るわよ」
「何の品物を見ていましたか?」
「彼女、ここでリングを買っていったわよ。ウフフ、あの子、好きな人にあげるとかって言っていたわ。あ〜若いっていいわね〜。そのリングにつける宝石をモロクに探しに行くって嬉しそうに話していたわ。それをもらえる彼氏は女の私から見てもうらやましいわね。あんな可愛い子、滅多にいないもの」
「相手の名前ってわかりますか?」
「ごめんなさい。名前までは聞いていないのよ。まだつきあってるわけじゃなくて、スザンヌの片思いらしいわ。うまくいくといいわね!」

 見知らぬ他人に個人情報をぺらぺらと喋ってしまうのは、うさぎさんの無駄に整った顔の賜物か。どうやら依頼はスザンヌの好みを聞き出すことだったらしい。が、要らぬ情報まで仕入れてしまった。さてハルバードに何て報告したら良いのか。あの依頼主に耐えられるようには到底思えなかった。


「あれ、ルナさん?」
 道具屋を出たところ、やわらかな声音で呼びかけられ。振り返ると近づいてくる一人のハイプリーストの姿。ふんわりとした雰囲気なのに眼光の強さが心の強さを表していて。強くてきれいな人ってのが俺の感想。
 そして、彼が、うさぎさんの想い人。
 うさぎさんの身に纏っていたとげとげとした雰囲気が一気にやわらかくなる。誰にもわからなくても常に隣にいる俺だけが分かる違い。本当にうさぎさんはこの人が好きで大切なんだなぁって分かる。こんにちはとこちらにも挨拶してくるハイプリーストに、俺もぺこりと頭を下げた。
「んじゃ俺、依頼主に報告してくるわ」
「? おい?」
 訝しそうにこちらを見るうさぎさんにあわてて笑みを作る。うさぎさんがこの人のことが好きなことを、俺が知っていることは当然知らないわけで。ってか知ってることをばれたら絶対消されるわけで。
「報告だけだからひとっ走り行ってくる。あ、報酬がめらないって!」
 んじゃあとでなーと二人に背を向け走る。別に走らなくても良かったんだけれども、でもなんだかその場からすぐにでも離れなきゃいけない気がしたんだ。なんでか分からないけれども。




***



「どうだった? 彼女の欲しい物って何かわかった?」
 結局イズルードから噴水前まで全速力で走ってきた俺は、がくがくとふるえる膝を押さえ俯きながら息を整える。どうしたの?暗い顔をして……と心配そうに覗き込むハルバードに、首を横に振り大丈夫と告げる。いつのまにか膝に置かれていた手を取られ、またしても握られていた。
「ははぁ、わかったぞ! スザンヌの欲しい物が高かったんでしょ? 大丈夫、心配しないでくれよ! この日のために、お金は貯めていたんだからさ」
 ただ走ることに意識を集中させていたから、ハルバードへの気のきいた言葉を何一つ用意していなかった。ハルバードの期待と不安に入り交じった目を見ることが出来ず、しどろもどろに女性店員から聞いたありのままをぽつりぽつりと報告する。ハルバードの表情が強張っていくのが手に取るように分かった。
「な、なんだって〜! スザンヌには、もう好きな人がいるっていうのかあっ!!」
 ぐはぁぁぁぁぁ!と俺の手を握ったまま頭を抱え悶絶するハルバード。細く青白いその手のどこから出てくるのか、驚くほどに強い力に身体まで引っ張られ、ハルバードを腕の中に抱える体勢となる。
 周りの視線が痛い。薄ら寒くて痛々しい。しかし打ちひしがれるハルバードを無下にすることも出来ず、仕方なく俺はハルバードをあやすように労るようにぽんぽんと優しく髪を撫でた。
 モロクの宝石とかそんな高価なものを!ひ、ひどすぎる〜〜っ!と独り言やよく分からない唸り声を発し続けていたが、落ち着いてきたのか疲れてきたのか少しずつ静かになっていく。その間、俺は他に何をすればいいのか分からず、ひたすらにずっとハルバードに握られた手で、馬鹿の一つ覚えみたいに彼の髪を撫で続けていた。

「と、とりあえず、調べてくれてありがとう……。これはお礼だよ」
 ごめんねありがとう、格好悪いところ見せちゃったね。ハルバードは顔を上げると、少し赤くなった目でまだ泣きそうな顔で、また無理矢理に笑顔を作ってそして俺に笑って見せた。握っていた俺の手に報酬のゼニを握りこませ、手を離す。ぽっきりと折れそうな小さな呟きと同時に。

「ちょっと、一人にさせてくれ……」


 気落ちした背中から申し訳なく目を逸らし、報酬を無造作にポケットに詰め込み背を向けた。
 うさぎさんも宿屋もイズルードだがまだ帰りたくはない。嬉しそうなうさぎさんの邪魔をしたくないし。ってか邪魔したら絶対俺消されるし。
 あてどもなくプロンテラを彷徨い、露店をぼんやりと眺める。懐が少しぬくもったはずなのになんだか楽しくない。失恋した依頼主に感化されたのだろうか。




 よく分からないむしゃくしゃした気持ちを振り払うように稼いだ報酬を全て青箱に注ぎ込んだチェイサーが、アサシンクロスに大目玉を食らうのはまた別のお話。





 
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