任務から帰ってくるなり、自室に引きこもる。コムもメールも応答無し。何かあったのかと同行者に問えども答えはさっぱり。今回の任務は上の連中どもの護衛。煩わしくはあるが簡単な任務無論失敗する訳がない。

(……いったい、何をしてる)

 放っておけばよいものを、足は無意識に総務課へ。適当な理由並べて面倒くさい手続き踏んでまでマスターキー手に彼の部屋の前。僅かな躊躇い振り切って、カードをリコーダーに通す。軽やかな電子音と共にドアがスライドし人工の照明光が零れる。こちらに背を向けるソファーの端から見える黒髪。眠っているのか。部屋に足を踏み入れざっと周囲を確認する。スタンドの上ごみ箱の中薬剤注射器血の臭い、大丈夫。ただ本を読んでるだけだ。

 ………………本、を?! 立ち止まる。


「……何か、あったのか」

 え?何?青年は突然の来訪者に別に驚いた様子もなく手元の本から顔を上げる。顔を傾げる。あからさまに怪訝そうな表情でこちらを伺っている男を見返す。

「お前が本を読めるなんてな」

 ……な、何だよその言い草。俺だって本ぐらい読むよ。相変わらず変わりなく騒がしい青年を窘め微かに安堵。ソファーに沈み込んでいる躯の横に腰掛けだらしなく広がる黒髪を弄ぶ。「………任務は、……」ん?「……任務は、どうだった?」んー、別に。 歯切れの悪い言葉に読書に熱中しているせいか生返事を返すだけ。一体何の本を読んでいるのか? 手元で開いている本を覗き込みため息。ページ全面に原色を使った綺麗な絵、申し訳程度に言葉が少し。絵本、か……。それもかなりの幼児向き。確かに誇らしげにこちらを見上げてくる子供には相応しいのかもしれないが。

 やわらかな動物の毛にも似た黒髪をそっと梳くと気持ちよさそうに目を細める。まるで獣のように。誰にもらった? 子供の口から男の右腕である副官の名前。妙なものをこいつに教えるな与えるなと説いたばかりなのにあの馬鹿が。

「ねぇねぇ、なんて本か分かる?」
「……知らんな」


  『幸福な王子』


 知ってる? 首を横に振る。へぇ、知らないのアンタいっぱい本読んでるじゃない。
 ……分野が違う。レベルも。


  『町の空高く高い円柱の上に、幸福な王子の像が立っていました。』


 ……ねぇ、“幸福な王子”ってほんとうにシアワセだったのかな? また訳の分からんことを。幸福だったんだろうそいつは。青年のまっすぐ見上げてくる魔晄色の瞳に可笑しそうな光湛えくすくすと笑う。


  『王子は実際非常な賞賛の的でした。』


 違うよシアワセって思ってるのは周りのヒトタチだけ何も知らないバカな奴ら。細い腕のばし髪を一房掴み大切そうに大切そうにくちづけ。徐に力一杯に引っ張られ髪ごと顔ごと青年の目前に。くちづけ何度も何度も角度変え絡ませお互い探り合い、目は、……閉じない。呼吸の合間囁く。



「幸福な王子は、アンタみたいだ」


  『……目には二つのキラキラしたサファイアが、また大きな赤いルビーが刀の柄に輝いていました。』


「…………。」
 青い瞳。紅に染まった刀。アンタって綺麗キレイ誰よりも。誰よりも強くて誰よりも格好良くて誰よりも有名でみんなアンタに恋焦がれて憧れて。だって、


  『王子は実際非常な賞賛の的でした。』


「アンタって、“エーユウ”なんでしょ?」
 青年の艶めかしく濡れた唇が己の名前を紡ぐのを視線でなぞる。ゆっくりゆっくりただ言葉無く。男の瞳に写るその唇は笑みのカタチはりつかせたままずっと笑い続けている。



 「ただの、“ヒトゴロシ”なのに、ね」


 純粋無垢な笑顔狂気じみた笑み。男はこの笑顔が嫌だった嫌いだった気持ち悪かっただから目を背けた。なのに言葉がべっとりと縋りつき逃れられない。男は囚われたまま今も昔もずっと先も。



「絵本」 2001.04.19
 
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