銀色の淡い絹糸のような髪に縁取られた美しい顔立ちの少年が、微かな物音も落とさずラボに姿を表す。宝条は蒼い液体の入ったビーカーから目を離し其処へ掛けなさいと奥のソファを指し示した。少年の視線は宝条の顔を興味なさ気に通過し、そしてその背後の蒼い蒼い魔晄色に輝くビーカーに視線を留めた。その瞳がうすく閃く。魔晄色に輝く少年の瞳に禍々しいほどに美しい蒼の光が揺らめく。その様に宝条は目を見張った。一体どうしたというのか。少年はあらゆるものに対して無関心だったはずだ。人形のように美しいその容貌に何かしらの表情があらわれることはなかったし、その蒼い魔晄色の瞳に何かしらの感情が宿ることもなかった。少年はまさに命を持たない美しい人形そのものだった、はずだ。それが一体どうしたというのか。眼前の少年はまるで別人のように人間味を帯びていた。生々しいほどに人間くさかった。吐き気すら憶えるほどに体温を熱を息遣いを感じさせた。初めて見せる少年のその表情に宝条は恐怖と畏怖の念で躯を竦み上がらせる。惹きつけられ魅せられ目が離せなかった。 ビーカーの中には人の形をかろうじて留めた肉塊が沢山のチューブを絡み付かせ漂っていた。蒼い液体に鈍く揺れる長い髪も薄く開かれた瞳も細い作り物のような手も足も躯も何もかも、ソレを形作る何もかも全てが、白そのものだった。蒼い魔晄の中で白いソレは淡い蒼白い光を放っている。ソレは、深い深い光の届かない深海に息を潜める美しい生き物のようだった。 「ソレ、何?」 愛らしい鈴の音のような声で少年が問う。 「……………興味が、あるのかね?」 宝条は動揺を隠しきれない声音で逆に問い返した。少年は何も応えなかったが、その熱のある逸らせないでいる視線がその答えを雄弁に物語っていた。 「ソレは失敗作だよ。魔晄中毒の成れ果てと云うべきか」 「……失敗作? こんなに、綺麗なのに」 少年らしからぬ夢見心地の謳うような賞賛の言葉。常に一定の刻みを保ち続ける少年の規則的な乱れることのない足取りは今は見る影も無く。少年は縺れるような足取りでビーカーに歩み寄る。宝条の隣に並びソレの躯を撫でるかのようにその輪郭をなぞるかのようにビーカー越しにそっと手を這わせる。幾度も幾度も愛おしそうに。少年の恍惚とした横顔に宝条はただ呆然と注視し続ける。 「これ、欲しい」 「……これは廃棄処分が決まっているんだよ。諦めなさい。お前には別のオモチャを用意してあげるから」 「これがいい」 少年は頑なに言い張る。宝条は思わずまじまじと少年の顔を覗き込んだ。今日の少年は本当にどうしたというのか。少年がこんなに何かに執着するなんて今まで決してあり得なかった。何かに興味を持つこともモノを個体として認識することさえもなかった。美しいなどと抽象的な概念なんて持ち合わせていなかったし、ましてや何かを欲しいと強請ったことなんて今まで一度も。決して。これの何がそんなに気に入ったのか。ただの魔晄中毒の成れ果てではないのか。ただの失敗作に過ぎないではないか。何故。 何故なにゆえ。分からなかった分かるはずもなかった。答えなど自分の内に用意されているわけがなかった。いつの時もいかなる事に対しても。己を嘲るような嗤みはやがて微かな溜息へと形を変える。宝条は疲れた表情で少年の銀の小さな頭を軽く撫でた。 「好きにしなさい」 少年は無表情で頷き、サンプルナンバーは?と問う。 「GUSTproject-Zero013【HAL】」 「HAL、……ハル」 少年はその名を何度か舌で転がし、ソレにそう呼びかけた。 「ハル」 名前を与えられ。ソレは、小さな小さな命を宿した。 * * * 先程まで蒼い魔晄に浸されていたソレは酷く弱々しい存在だった。温かな羊水から無理矢理引きずり出された赤子のように脆くて無垢な存在だった。少年がそっと優しくソレを抱き上げると、頸がぐにゃりと曲がり頭が仰け反った。白い微かに湿った髪が少年の肩口にサラサラとこぼれ落ちる。少年はソレを自分の方へ抱き寄せ輪郭をなぞるように白い皮膚に指を這わす。僅かに湿ったやわらかな膚が掌に吸い付く。肌はひやりと冷たくなめらかだった。顔の輪郭をなぞり肩から腕へ指先へ、プラスチックのような硬質な骨を一つ一つ確かめるように指を滑らせ心臓の上で手を止めた。弱々しくだが規則的な鼓動が掌から少年の心臓に伝わり共鳴する。少年は心地よさそうにうっとりと目を細めた。しばらくそのまま手を添えていると、内から奥の方から温かな熱がじんわりと滲み出てくる。少年はソレを床に横たえ衣服を手早く脱ぎ去ると己の躯を重ね合わせた。強く抱きしめると膚の重なった箇所が少年の熱に共鳴するかのように徐々に温かみを帯びてくる。己の腕の中でゆっくりと命が生まれるようなその感触に少年はさも気持ち良さそうにソレを抱く腕に力を込めた。 「…………ッ」 ソレが息苦しさを感じたのか微かに身動ぐ。少年はソレの顔を覗き込んだ。瞼が白い睫毛が細かく痙攣している。もうすぐ、声に出すことなく少年の唇が動き、ソレの白い口唇にゆっくりと静かに重なった。氷のように冷たい口唇を弱々しい吐息を絡め取るように啄むような口付けを繰り返す。幾度も幾度も愛おしそうに。やがてソレの眼がゆっくりとスローモーションのようにゆっくりと開く。蒼白く発色する純白の瞳。その瞳を間近で覗き込みながら少年は小さく身震いをした。 「ハル」 呼び掛ける。心なしか語尾が掠れて。少年の言葉にソレは反応をみせた。 「…………ハ、ル?」 「君の名前、だよ」 「き、きみ、は……?」 「僕はセフィロス」 「セ、……フィ」 たどたどしく己の名を紡ぐソレの口唇に少年はふと陶酔に似た何かしらの衝動的な感情に支配され、噛み付かんばかりに荒々しく口付ける。か細い吐息を苦し紛れの悲鳴を薄い唇を貪るかのように執拗に貪欲に、長い間。ようやく陵辱のような口付けから解放されると、ソレは白い萎えた四肢を何とか動かしてその腕から逃れようとした。ソレは怯えた仕草で弱々しくきっぱりと少年を拒絶した。少年ではない誰かに助けを求めるかのように虚空を藻掻く白い腕は、しかし難なく抑え込まれ強引に引きずり戻された。少年は忌々しそうにソレの躯が軋むほどに強く強く抱きしめ、白い細い頸に歯を立てる。少しずつ力を込めていくと、肉を削くぐもった感触と共に口の中に鉄臭い甘い香りが広がる。ソレは苦しそうに喉をそらせた。白い透明に近いほどの蒼白い肌からは信じられないほどの赤い赤い血液がソレの頸を流れる。少年は舌を這わせ丹念にそれを舐め取った。 「君は、僕のものだよ」 恐怖に眼を見開いたソレの真っ白な瞳に唇を真っ赤に染めた少年の姿が不気味に揺れている。ソレは少年を拒絶するかのように硬く瞼を閉じ、意識を手放した。 少年が生まれて初めて淡い笑みを浮かべていたことを確認することなく。 ソレ、も。 少年自身でさえも。 意外にも年相応の無邪気な笑みに。 気付くことなく。 「君は、僕のものだよ。……ハル」 少年は笑い続ける。 「人形が紡ぐ夢」 2001.07.11 |