確かに狭い圧迫感を感じる程の狭い部屋なのだから、目線を少しほんの少し動かすだけで部屋の全てを視界に収めることが出来ることは確かに認める。それは認めるのだが、常に始終いかなる時も視界に網膜に青年の姿が映るのは一体どういうことなのだろうか。幻想か妄想かはたまた光速的高速移動か。何故にそんなに落ちつきなく忙しなく長い足をこれみよがしに左へ右へ動かすのだろうか。その弛みきった口を開いていないにも関わらずひたすら喧しいのは何故か。自分に問いただしたところで答えなど求められるはずもなく、このようなことを真剣に悩んでいる自分は精神的にかなり追い詰められているということなのだろう。まとわりつきじゃれつく子猫よろしくかまって遊んでと無言のオーラを躯いっぱいに浴び続けて5日間。この決して短くはない時間にこなすはずだった仕事はほぼ手つかず状態のまま。遅れを取り戻そうと、こちらとて半ば意地になって意識から追い払い無視を決め込み画面を埋め尽くす数式に集中しようとするのだが、いかんせん気に障ってしょうがない。うっすらと積もる埃が辺りに舞い散り、精密機械はエラー音を鳴らし続けている。

「ザックス」
「何?」
「そのパイプに触らないでちょうだい」
「あ、うん」

 頻りに弄っていたパイプから素直に手を放す。魔晄エネルギー供給メインパイプライン。長さ太さ色様々のパイプがあるにも関わらず狙い澄ましたように重要度危険度の高いものばかり探り当てる。分かってやっているのかと疑うほど。こんな調子だからとてもじゃないけれど目が離せない。青年の次の行動を予測できないからこちらの神経も必要以上に過敏になっている。一体この青年の脳はいかなる造りをしているものか。この行動を考えを言語を導き出す脳の構造はどうなっているのか。

「一層あなたの脳を解剖してみたいわ」
「お医者さんごっこ? 昼間っから、ダ、イ、タ、ン」

 青筋がピキリと浮かび上がる。頭の何処かで何かが切れる音を確かに聞く。嬉しそうに寄ってくる青年の足が途中で不自然に止まった。凍りつく。世にも恐ろしいものを見たかのような怯えた表情で。



 英雄セフィロスの約2週間に渡る不在。彼はプレジデントの各地講演会にボディガード兼神羅の看板男としてお供の任についている。セフィロスが居るだけで世間の反応が驚くほど違う。テレビの視聴率なんてかるく20%は跳ね上がり、ナマ英雄様を一目見ようと会場に詰めかける人の数と言ったら度肝を抜くほど。そんなに見たいのなら戦場に来いって云いたくなるまぁ命の保証は無いけれど、ね。
 ザックスは独りお留守番。おとなしく淋しく一人指でも銜えて待っていれば良いもののそんなタマであるはずもなく。あちらこちらの部屋に泊まり歩いては指ではなく別のモノ銜え込んでナいて無論十分に寝かせても貰えず、睡眠不足に加え泣き腫らした目は真っ赤に充血して見ているこちらの方が痛々しい。英雄不在を機に青年に手を出そうとする輩が後を絶えず、三角四角複雑な図形描いて一人の男を取り合い目も当てられない泥沼状態。当の青年は笑顔でみんなでヤろうよとヌかす始末。男という生き物は思いの外純情で独占欲の強い造りになっているのだからそう言うわけにも。本人を余所に諍い小競り合いが始まるとなると流石に上層部の連中も業を煮やし、あわててラボが彼の身柄を引き取る。独房や反省房なんかに入れられたら何が起こるか分からない。こういう状態の時の青年はとても不安定で危険なのだ本当に。一人にしたら、独りにしたら。



「ギ、ギブ。ワり、悪ィ。ごめんって」
「お、と、な、し、くッ! 出来るわよねぇ?」
「…………う、うん」

 本場仕込みの柔道のワザと脅しをといて青年を解放してやる。肩で息をしながら怯えた眼差しを向けつつ、云われた通りおとなしくソファに座り足を組むと小さく溜息を吐いた。

「セフィロス。早く帰ってこないかなァ」
「彼は英雄なのだから仕方ないでしょう?」
「エイユウって、何? どうやったらなれるの?」
「さぁね。非凡な才能、強靱な精神力、カリスマ、容姿、英知、強さ」
「ただの、ヒトゴロシなのに?」

「十人殺せば大悪党。百万人殺せば英雄っていうでしょ?」

 こちらの皮肉も通じず、青年は首を傾げながらその両の手を使って指折り指折り数え。その様を眺め溜息。そんなんじゃ手が幾らあっても足ンないわよ?


* * *


 白昼堂々ベッドの住人。カーテンも引かず挙げ句の果て扉も開けっ放しでお互い裸体晒して。青年は女の腕の中で眠りに落ちていた。だらしなく広がる黒髪を弄びながら女はぼんやりと青年の安らかな表情を眺める。無邪気な本当に幼子のように邪気の無い表情を無防備に晒けだす青年。だからこそヒトの征服欲を掻き立て庇護欲を抱かせるのだ強く執拗に。躯に幾つも残された赤黒い無惨な痕がそれを物語っている。痛々しい。やせ細った躯も赤黒い痣も目の下にくっきり刻まれたクマもどこか憔悴した表情も。可哀想だホントに可哀想だ。誰にも気付いて貰えないことが可哀想だ。空っぽの笑顔見せられたって空元気で騒がれたって、こちらはちっとも嬉しくなんかない。何故誰も気付かないんだろう。何故誰も気付けないんだろう。こんなに苦しんでるのに。哀しんでいるのに。

「あなたって、ホント馬鹿だわ」

 小さく小さく呟く。やせ我慢したってなんの徳にも美徳にもならないのに。何も言わなくても分かり合えるなんてそんなの嘘。結局口に出さないとちゃんと言葉にしないと何も伝わらないのだ。決して。何もせずに何も言わずに自分のことを分かって貰おうなんて甘ったれた卑怯者だ。泣きたい時には泣く縋りたい時には縋りつく。惨めったらしくても良いから。どんなに惨めったらしくても良いから、縋りついていたら、あの時縋りついていたら。
 青年を抱きしめる腕に力が籠もる。

「ホント、馬鹿」
 あなたも、セフィロスも。



* * *


 人間は群れて生きる生き物だから「異質」というものにはやたらと敏感である。自分と自分達と違うものに対しては徹底的に排除しようとする傾向がある。セフィロスが「英雄」と呼ばれるのもその所以だ。セフィロスは生物学上「人間」とは呼べない。彼を構成する細胞も遺伝子も原子も分子も、彼が「人間」であることの証明材料にはならない。彼は「人間」とジェノバのキメラだった。セフィロスという「人間」を形作るはずだった受精卵にジェノバ細胞が注入され、やがて「人間」とは異なる奇異な細胞分裂を見せ始めた。極秘で保管されているデータにはとんでもない数値がはじき出されている。予定された臨月よりかなり遅れて生まれてきた嬰児はヒトの形をしていたが、どこか「異質」を感じさせた。それは年を重ねるごとに顕著になっていく。人間離れした美貌も能力もそれに拍車を掛けるだけだった。やがて「異質」は「英雄」という言葉で上塗りされるようになった。ソルジャーとなったセフィロスの活躍ぶりは瞬く間に世界中に広まり、メディアはこぞって彼を取り上げ、人々は彼を「英雄」と褒め称え酔いしれた。「英雄」とはすなわち「特別」であり、「特別」はすなわち「異質」というわけである。「英雄」は彼の本質を隠す実に良い隠れ蓑であったが、一方では実に的確に彼の本質を得ていた。結局彼が何と呼ばれようとどんな地位にいようと根本的に人間とは相容れない存在と云うことだ。



 女とセフィロスの関係は意外と長く続いていた。良い関係が保たれ続けた。女がセフィロスにあまり干渉しないことがその要因なのかもしれない。セフィロスは好きなときに女を抱き、女は好きなときに彼に抱かれた。セフィロスは女に極上の快楽を惜しげもなく与え、女は其の身をもって惜しげもなく応えた。二人はお互いのことを大切に思っていたし愛してもいたのだが、どこか冷めた感は拭いきれなかった。ある日女はコトを終え衣服を身に着けるセフィロスの背中を眺めながら、冗談半分本気半分で、言葉を洩らした。

 貴方の子供が欲しい、と。

 セフィロスはギクリと躯を強ばらせ、虚をつかれた表情でこちらを見返した。
「私の子をつくるというのか? 私の子を……、」
 愕然と繰り返された言葉には酷い自己嫌悪自己憎悪がありありと含まれ、それに反して其の声は途方に暮れた迷い子の如く弱々しく泣きそうな戸惑ったものだった。

 セフィロスは気付いていたのだ。確かに確実に迷いもなく。
 自分が人間とは違うことを。
 あの時、確かに。



* * *


「ザックス。部屋に戻りなさい」

 久しぶりに姿を現した宝条は青年にそう声を掛けた。訝しがる青年に宝条は微かに悪戯っぽい笑みを向ける。この青年にだけ見せる笑み。

「お前の愛しい恋人の、ご帰還だよ」

 宝条が言い終わらないうちに青年は満面の笑みでラボを全速力で飛び出していった。その勢いに書類が宙を舞い、ついでに埃も舞って、精密機械が途端にエラー音を鳴らす。その様は花粉症の症状に似ている。

「………調整は、上手くいったのでしょうか?」
「とりあえずは、ってところだが。 ……「コピー」はやはり耐久性に限界がある」
 宝条の顔を女はそっと覗き込む。充血した目も刻まれた隈も彼が一睡もせず「調整」していたことを物語っている。女は沢山の様々な思いを込めて深々と頭を下げた。
「お疲れ様です」
 宝条は微かに頷いただけで何も言葉を発しなかった。女は青年が飛び出していった扉に視線を寄越す。



 ザックス。今度は絶対に、手を放さないで、ね。
 縋りついてでも。惨めったらしく、縋りついてでも。
 その手を、放さないで。



 「英雄」は、もういないのだから。



「エイユウ」 2001.06.30
 
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